日本初の競輪開催/マリオを生んだ任天堂が創立/三菱パジェロミニの兄貴分パジェロジュニアがデビュー!【今日は何の日?11月20日】

■日本初の競輪が開催、ゲームで急成長した任天堂が創立

競輪場
競輪場(イメージ)

1941(昭和16)11月20日、福岡県小倉市(現、北九州市)で日本初の公営競輪「第一回小倉競輪競争」が開催されました。4日間行われ、観客動員数は延べ5万5千人、総売り上げ1973万円(現在の約20億円に相当)を記録して大成功となりました。これを受け、多くの自治体が競輪事業に乗り出し、2年後には50ヶ所、3年後には63ヶ所の競輪場が建設されました。

任天堂ファミコン
任天堂ファミコン

また1947(昭和22)年、任天堂の前身である株式会社丸福が、京都東山区に設立されました。そのもとになったのは山内房治郎商店で、花札やかるた、日本初のトランプの販売で成功を収めて、総合玩具メーカーの丸福が誕生したのです。社名が現在の任天堂になったのは1963年のことで、1983年に発売したファミコンや1989年のゲームボーイが大ヒット、スーパーマリオは誰もが一度は遊んだゲームではないでしょうか。このようにしてファミコンブームを巻き起こした任天堂は、今や日本が世界に誇る大企業のひとつに成長しています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●パジェロ3兄弟の次男坊パジェロジュニアがデビュー!

 

パジェロジュニア
1995年に発売されたパジェロジュニアの後ろ外観。大型バンパーとオーバーフェンダーが際立つ

1995年(平成7)年のこの日、三菱から「パジェロ」の弟分であり、「パジェロミニ」の兄貴分にあたる「パジェロジュニア」がデビューしました。三菱は、RVブームを牽引して大ヒットしたパジェロのシリーズ化を図りました。第1弾として1994年にパジェロの軽自動車版としてパジェロミニを発売。それに続いたのが、小型車パジェロジュニアです。

パジェロジュニアは、パジェロミニの性能では満足できないユーザーのために開発されました。シャシーはパジェロミニをベースに、エンジンを660ccから1100ccに拡大。大型バンパーと大径タイヤを収めるオーバーフェンダーが、パジェロミニに対してワイルドさをアピールしました。

1995年発売のパジェロジュニアのシート配列、4人乗車で荷室がやや狭い
パジェロジュニアの室内。4人乗車で荷室は最小限

エンジンは、パジェロミニ用660cc直4DOHC20Vエンジンのボアおよびストロークを拡大して、排気量を1100ccとしました。トランスミッションは5速MTと3速AT、駆動方式は2速副変速機付き「イージーセレクト」のパートタイム4WDが用意されました。エンジンの性能が向上し、重量がパジェロミニより50kg重い960kgになった分、シャシーやサスペンション、ブレーキは強化され、優れた走行性能と操縦安定性が確保されました。

1994年発売のパジェロミニ、軽のオフローダーとして人気を博す
1994年に登場したパジェロミニ、軽のオフローダーとして人気を博す

パジェロジュニアは、軽自動車のパジェロミニで満足できない一部のユーザーの取り込みには成功はしたものの、結果としてパジェロミニほど販売台数は伸びず、1998年に新型のパジェロイオにその座を譲りました。パジェロミニの拡大版というイメージが強く、新鮮味に欠けたことが、人気モデルになれなかった理由かもしれませんね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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