キュリー夫人生まれる/国会議事堂完成/ダイハツ初の本格小型車シャルマン登場!【今日は何の日?11月7日】

■放射能を発見したキュリー夫人の誕生日。日本政治の中枢である国会議事堂が竣工

キュリー夫人(C)Creative Commons
キュリー夫人(C)Creative Commons

1867(慶応3)年11月7日、放射能の発見で有名なマリ・キュリーがポーランドに生まれました。研究のためにパリへ出て、物理学者のピエール・キュリーと出会って結婚。キュリー夫人は、ウランの化合物から放射される光線を研究し、それが原子そのものから放射されている放射線「放射能」であることを発見します。キュリー夫人は、唯一ノーベル賞を2度(物理学賞と化学賞)受賞するという偉業を成し遂げています。さらに夫のピエール・キュリー、さらに娘のイレーヌ・キュリーと娘婿のフレデリック・キュリーもノーベル物理学賞を受賞。なんと一家で5つのノーベル賞を受賞しているのです。

国会議事堂
国会議事堂

また1936(昭和11)年のこの日、およそ20年の歳月を費やし国会議事堂が完成しました。ギリシャ様式の風格ある建物ですが、デザインは一般公募で選ばれた宮内省技手の渡邊福三の案が採用されました。ただし手直しが多く、様々な建築家によって修正され、最終的に完成した議事堂は渡邊氏の設計とは言えないそうです。建設に際しては、全国から集めた40種類以上、3万トンの石が使われ、「石の博物館」と呼ばれているそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●カローラをベースにしたダイハツのシャルマンデビュー!

1974(昭和49)年のこの日、ダイハツからコンソルテ・ベルリーナに続く本格的なファミリカー「シャルマン」がデビューしました。ダイハツは1967年にトヨタと業務提携を結び、シャルマンの開発については全面的なバックアップを受けました。

1974年発売の初代シャルマン
1974年に発売された初代シャルマン

シャルマンは、2代目カローラのエンジンやトランスミッション、サスペンションなどを流用しながらも、内外装はダイハツ独自のデザインを採用し、コンソルテより上質の小型車を目指しました。スタイリングは、オーソドックスな直線基調ながらクラス初の丸形4灯ヘッドライトで個性を引き立たせ、カローラとは一味違うシックな大人のイメージを演出しました。パワートレインは、カローラの1.2L&1.4L直4OHVエンジンと4速MTおよび2速ATの組み合わせ。駆動方式はFRでした。

特徴的な装備として挙げられるのが、「マルチユースレバー」です。ステアリングコラムから出る左右2つのレバー、右側レバーはヘッドライト/ビーム切替/ターンシグナル/パッシングライト/レーンチェンジャー、左側レバーは2スピードワイパー/ウォッシャーの機能を持たせました。現在は一般的な機能ですが、当時としては珍しい便利な機能でした。

1981年発売の2代目シャルマン、大型四角へッドライトにしてよりシックな雰囲気に変更
1981年に登場した2代目シャルマン。大型のスクエアなへッドライトでよりシックな雰囲気に変更

シャルマンの販売は、当初は好調に滑り出しましたが、徐々に低迷しました。シャルマンが登場した頃には、ベースとしたカローラは3代目に移行していたため、基本設計が古いことは否めませんでした。その後、1981年にモデルチェンジして商品力アップを図りますが、販売を伸ばすことはできずに1988年に生産を終了しました。

1970年代は、「CS戦争」と呼ばれたカローラとサニーの熾烈な競争に代表されるファミリカー激戦の時代。一世代前のカローラをベースにしたシャルマンには、厳しい闘いであったようです。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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