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■優れた空力性能と軽量ボディに特化したヨタハチ
1965(昭和40)年に、トヨタの2シーター・コンパクトスポーツカー「トヨタスポーツ800」がデビューしました。
トヨタスポーツ800は、その前年1964年の東京モーターショーで参考出展された「パブリカスポーツ」を量産化したモデルで、ホンダのスポーツカー・Sシリーズ「S600」と「S800」に対抗する形で登場したのです。
●スポーツカー時代の幕開け
1955年に完全オリジナルの純国産車「トヨペット・クラウン」が誕生し、これをきっかけに本格的な国産車の時代が到来します。一方で、1962年9月に鈴鹿サーキットが開設され、翌1963年には第1回日本グランプリが開催されてモータースポーツの機運が高まり、日本のスポーツカーの歴史も幕開けました。
日産自動車は、1962年に国産初の本格スポーツカー「ダットサン・フェアレディ1500」をデビューさせ、またこの年には初代スカイラインの2ドアクーペ「スカイラインスポーツ」も登場。また、“スカG伝説”を作った「スカイライン2000GT」が誕生したのは、1965年でした。
ホンダは、1963年に2シーターオープンの「ホンダS500」を発売し、その後「S600(1964年~)」、「S800(1966年~)」と、スポーツモデルのSシリーズを展開。いすゞからは、1964年に「ベレット1600GT」が登場し、国産車として初めて「GT」を名乗りました。
そして、トヨタが初めて市場に投入したスポーツカーが、1965年にデビューした「トヨタスポーツ800」だったのです。
●優れた空力性能と軽量ボディが特徴のヨタハチ
1964年の“全日本自動車ショウ”(現在ジャパンモビリティショーとなった東京モーターショーの前身)で、トヨタから小型スポーツカー「パブリカスポーツ」のプロトタイプが披露され、翌1965年にその量産モデルとしてデビューしたのが、トヨタスポーツ800でした。
トヨタスポーツ800は、ホンダの「S600“エスロク”」と「S800“エスハチ”」に対して、“ヨタハチ”の愛称で呼ばれ、タルガトップを採用した流麗なスタイリングが注目されました。
前面投影面積の低減や曲面サイドガラスの採用など、航空機の空力技術が随所に盛り込まれたボディによって、Cd値は0.30を達成。また、ルーフやトランクにアルミパネルを採用するなどして、軽自動車並みの軽量化を実現、この空力性能と軽量化が、ヨタハチの最大の特徴でした。
パワートレインは、パブリカ用エンジンを改良した790cc空冷2気筒OHV水平対向エンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFR。最高出力45PS/最大トルク6.8kgmは、スポーツモデルとしては非力でしたが、優れた空力性能と軽量化を達成したことで、ライバルを圧倒するスポーティな走りができたのです。
●ライバルは、高性能エンジンを搭載したホンダのS600とS800
トヨタスポーツ800のライバルは、ホンダのS600とS800でした。
S600は、最高出力57PS/最大トルク5.2kgmを発揮する606cc直4 DOHCエンジンを、S800は最高出力70PS/最大トルク6.7kgmを発揮する791cc直4 DOHCエンジンを搭載。
ホンダらしい高速高出力型エンジンを搭載したS600とS800が、最高出力でトヨタスポーツ800を上回っていましたが、レースではトヨタスポーツ800は、S600とS800と対等以上の走りを見せました。
Sシリーズが、DOHCエンジンで高出力にこだわったのに対して、一方のトヨタスポーツ800は空力と軽量ボディを重視したのです。車両重量は、トヨタスポーツ800の580kgに対して、ホンダS600は695kg、S800は755kgでした。同じスポーツモデルながら、アプローチが対照的だったのです。
トヨタスポーツ800の価格は59.5万円、対するライバルのホンダS600が50.9万円、S800が65.3万円でした。ちなみに、当時の大卒の初任給は2.3万円程度(現在は約23万円)で、単純計算では現在の価値で595万円に相当します。また、スポーツ800のベースとなった大衆車「パブリカ」は36万円でした。
●レースで伝説となった圧巻の走りを披露
トヨタスポーツ800は、1965年に開催された第1回全日本自動車クラブ選手権のGT-Iクラスで優勝、第1回鈴鹿300kmレースのクラス優勝、1966年の鈴鹿500kmレースでの総合優勝など、輝かしい成績を記録しました。
なかでも、船橋サーキットで行われた第1回全日本自動車クラブ選手権レースでの天才ドライバー、浮谷東次郎選手による、最下位からのごぼう抜きの優勝は、今も語り継がれるトヨタS800の伝説となっています。また鈴鹿500kmでは、大型車に絶対速度では負けるものの、燃費の良さを生かして1度もピットインすることなく、結果として総合優勝を飾ったのです。
ただし、嗜好性の高い2シーターのスポーツカーということで、1969年に販売台数3131台で残念ながら生産を終了しました。
●トヨタスポーツ800が誕生した1965年は、どんな年
1965年には、スズキの「フロンテ800」、日野自動車の「日野コンテッサ1300クーペ」、日産自動車「シルビア」と「プレジデント」も登場しました。
フロンテ800は、スズキ初の小型車かつ日本初のFF小型車で、国産車初のサイドウインドウに曲面ガラスを使った美しい曲面ボディの2ドアセダン。
コンテッサ1300クーペは、ミケロッティデザインの流麗なスタイリングとRR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトが特徴で、国内外レースでも活躍しました。
シルビアは、2シータークーペのスペシャリティカーで、“走る宝石”と呼ばれたハンドメイドの流麗なスタイリングが特徴。
プレジデントは、当時国内最大の車両とエンジンサイズを誇った最高級車。政府の要人など、ショーファーカーとして重用されました。
その他、この年には湯川秀樹氏に続いて、朝永振一郎氏が日本で2人目のノーベル賞を受賞し、ソニーが世界初のビデオコーダー「CV-2000」を、大塚製薬が「オロナミンCドリンク」を発売し、TVアニメ「ジャングル大帝」の放送が始まりました。また、ガソリン51円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯71.5円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代でした。
高性能エンジンで競ったスポーツカーにあって、空力と軽量化で対抗してライバルを圧倒したトヨタスポーツ800。日本の歴史に残る車であることに、間違いありません。
(Mr.ソラン)