ミハエル・シューマッハが初のF1チャンピオンに。前人未到の活躍続け「F1の皇帝」へ向かう【今日は何の日?11月13日】

■ドイツ人のミハエル・シューマッハが初のF1総合優勝

1997年イタリアGPでフェラーリを駆るシューマッハ(C)Creative Commons
1997年イタリアGPでフェラーリを駆るシューマッハ(C)Creative Commons

1994(平成6)年11月13日、ドイツ人ドライバーのミハイル・シューマッハが最終戦のオーストラリアGPで優勝を飾り、初のF1総合優勝を決めました。

シューマッハは、最多優勝91回や年間総合優勝(ドライバーズチャンピオン)7回を獲得するなど、当時のF1の主な個人記録を更新し、「F1の皇帝」と呼ばれました。


●シューマッハの総合優勝獲得までの足跡

ミハエル・シューマッハは、1969年1月3日にドイツ・ケルン近傍のフェルト・ヘルミュールハイムで生まれました。4歳からカートレースで腕を磨き、1984年と1985年にドイツ・ジュニアカート選手権で優勝、1987年には欧州カートチャンピオンになりました。

1988年にジュニアフォーミュラにステップアップし、その実力が認められて1989年にF3に参戦、1990年にマカオGP、富士インターF3でも優勝を飾り、その年5勝を上げて総合優勝を飾ります。

その実績が認められ、1991年のベルギーGPにジョーダンからスポット参戦してF1デビュー。その後、ベネトンに移籍して1992年5月に2位入賞し、9月のベルギーGPで初優勝を飾って同年総合3位、1993年は総合4位を獲得。

1994年F1最終戦オーストラリアGPのシューマッハのベネトンはトップ争いで追走するヒルのウィリアムズと接触、ふたりともリタイヤし、タイトルはシューマッハへ(弊社刊 AUTO SPORT 1995年1月1日号 電子版 より)
1994年F1最終戦オーストラリアGP、シューマッハのベネトンを追走するヒルのウィリアムズ(弊社刊 AUTO SPORT 1995年1月1日号 電子版 より)

そして、1994年のこの日、F1最終戦のオーストラリアGPの決勝レース中盤、トップを走るシューマッハに、ともに世界チャンピオンを争っていたウイリアムズのデイモン・ヒルが追い上げてきた中、コーナーバトルでの接触となり互いに戦列離脱。結果、シューマッハが初の総合優勝となったのです。また、これはドイツ人初のF1チャンピオンでもありました。

1994年は、F1のスーパースター“音速の貴公子”と呼ばれていたアイルトン・セナが、サンマリノGPの決勝レースの衝突事故によってこの世を去った年であり、奇しくも世代交代となった年でした。

●通算91勝、年間チャンピオン7回などシューマッハの快進撃

その後は、怒涛の快進撃を続けます。

初の総合優勝の翌1995年に連続総合優勝、1996年にフェラーリに移籍。1996年は総合3位、1997年は最終戦欧州GPのレース中の接触がペナルティとなり成績抹消、1998年総合2位、1999年は総合3位で終えます。そして、2000年から2004年まで圧巻の5年連続で総合優勝し、通算7度の総合優勝を果たします。

2005年は総合3位、2006年は総合2位になったものの、10月のブラジルGPを最後に現役を引退。その後、2010年にメルセデスと3年契約を結び、4年ぶりに現役復帰しましたが、2010年は総合9位、2011年総合8位、2013年13位と、成績を残せずに2012年に再び引退を表明しました。

最終的には、最多優勝91回や年間総合優勝7回、最速ラップ獲得77回、連続優勝7回など、数々の前人未到の記録を打ち立て、その正確なドライビング技術とアグレッシブな走りから「ターミネーター」とか「F1(赤)の皇帝」と呼ばれたのです。

●弟も愛息もF1ドライバーに

ミハエル・シューマッハは、引退後の2013年末にフランスのスキー場での滑走中事故で頭部に深刻なダメージを負い、残念ながら現在も自宅治療中です(2023年11月現在)。

ラルフ・シューマッハ&ミック・シューマッハ(C)Creative Commons
ラルフ・シューマッハ&ミック・シューマッハ(C)Creative Commons

一方、ご存じのようにミハエル・シューマッハの弟と愛息もF1の世界に入りました。6歳下の弟ラルフ・シューマッハも兄を追うようにカートレースやフォーミュラフォードなどで腕を磨き、1997年に奇しくも兄と同じくジョーダンからF1デビュー。2001年にサンマリノGPで初勝利後、通算6度のF1優勝をもって2007年に引退しました。

また1999年生まれの長男ミック・シューマッハは、父親と同様に9歳の頃からカートに挑戦し、2014年にフォーミュラに転向後、ステップアップして2019年からはF2に参戦、2020年にはチャンピオンとなりました。そして、ついにF1に参戦、2021年はノーポイントでしたが、2022年には6位入賞を果たしました。多くのミハエル・シューマッハのファンが、彼の回復を願いながら、愛息ミックの活躍に期待しています。


当時ヒーローだったセナとの確執がメディアで度々取り上げられ、ややヒールの印象が強かったシューマッハ。亡きセナの41勝と並んだ際のインタビューで、セナのことを聞かれて号泣した姿を見て、何かちょっと安心したような気持ちになったのをよく覚えています。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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