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■“いつかはクラウン”の7代目にスーパーチャージャー搭載
1985(昭和60)年9月9日、“いつかはクラウン”という鮮烈なキャッチコピーで1983年に登場した7代目クラウンに、国内乗用車初のスーパーチャージャーを搭載した「2000ロイヤルサルーン・スーパーチャージャー」が追加されました。
●最高級セダンを目指した7代目にスーパーチャージャー搭載
初代クラウンである「トヨペットクラウン」がデビューしたのは、1955年のこと。完全オリジナルの国産車として、日本のモータリゼーションをけん引してきたクラウンは、日本を代表する高級車のリーダーとして現在も君臨しています。
7代目となるクラウンは、世界最高級のプレステージセダンとして、代々に渡り引き継がれてきた快適性と先進の電子制御技術を融合させ、“いつかはクラウン”というキャッチコピーで登場。
その2年後、1985年のこの日、2.0L直6 DOHCエンジンに国内乗用車初のスーパーチャージャーを搭載した「2000ロイヤルサルーン・スーパーチャージャー」が337.8万円で登場しました。
ちなみに当時の大卒の初任給は、14万円(現在は約23万円)程度でした。
当時の高級車やスポーツモデルが搭載していたターボエンジンやDOHCエンジンは、主に高速出力を向上させる技術。セダンとしては低中速域での動力性能、乗り心地が重視されるものです。そこで、低中速トルクを向上させるために採用されたのが、スーパーチャージャーだったのです。
スーパーチャージャーは、クランクシャフトからベルトを介してコンプレッサーを回転させて、吸入空気を圧縮してシリンダに送り込む仕組み。
ターボのような過給遅れ(ターボラグ)がなく、低中速のトルクを向上させるので、低速からトルクフルで高級セダンらしい力強い走りが実現されるのです。
●世界で初めてスーパーチャージャーを搭載したのはメルセデス
スーパーチャージャーの歴史は古く、世界で初めて量産車に採用したのは、1921年の「メルセデス6/25/40hp&10/40/65hp」です。その後、レース用マシンを中心に普及していきました。
日本では、7代目「クラウン」の採用以降、バブル景気の勢いもあり、競うように多くのモデルで採用されましたが、1990年代半ば以降は、バブル崩壊の影響もあり当時の技術としては燃費が悪いスーパーチャージャーとターボチャージャーは、市場から敬遠されたのです。
ところが、2005年頃から欧州メーカー、特にフォルクスワーゲン/アウディがダウンサイジング過給というコンセプトを展開。環境悪の烙印を押された過給機が、環境(燃費)対応の技術として復活したのです。
その場合も、過給機の中心となったのは、高速域で過給できるターボチャージャーでした。
ダウンサイジング過給が進展するなかでも、特に日本においては、スーパーチャージャーが大々的に復活することはありませんでした。復活したのは、2012年に日産自動車が投入した「ノート」のみでしたが、2020年に生産を終了したため現在、採用例はありません。
●燃費悪化を招くスーパーチャージャーの復活は難しい
ターボチャージャーの弱点は、高速で高い過給圧が得られるものの、排気ガスのエネルギーが小さい低速域で十分過給圧が上がらないこと、また最近はそれほど問題にはなりませんが、加速時にタービンの回転遅れによる過給遅れ(ターボラグ)が発生することです。
一方のスーパーチャージャーは、エンジンで直接コンプレッサーを回すので、低速域から高い過給圧が得られて過給遅れもありません。しかし、コンプレッサーを駆動するためにエンジンに余分の駆動損失が発生し、特に駆動損失が高速出力時に増大することと燃費の悪化があり、これらが最大の課題です。
また、過給を高めると騒音が発生しやすく、コストが高いこともマイナス要因です。
本来廃棄される排気ガスの運動エネルギーの一部を回収して再利用するターボチャージャーに対して、スーパーチャージャーは「システムの効率」が必然的に劣っているのです。
当時はバブル景気の勢いもあってか、クラウンに追従して競うように、多くのモデルでスーパーチャージャーが採用されました。デメリットがあっても性能向上メリットを活かす動向が強かった時代です。
しかし、バブルが崩壊して排ガス規制やオイルショックによってクルマも一変、贅沢な装備や燃費の悪いクルマは敬遠されるようになって、スーパーチャージャーも市場から消えました。当時のスーパーチャージャーは贅沢な技術でもあったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)