元全日本ロードレース・スーパーバイククラス覇者で車いすレーサー「青木拓磨」が、アジアクロスカントリーラリー優勝の歴史的快挙を達成!

■FIAモータースポーツ史上初、車いすドライバーが総合優勝

東南アジアを中心に開催される、FIA・FIM公認国際クロスカントリーラリーである「アジアクロスカントリーラリー(AXCR)2023」が、8月13日から19日にかけて開催されました。

AXCRは1996年に初開催し、毎年コース設定も通過国が変わっていますが、これまでタイ王国を中心にアジア8ヵ国を走破してきています。2020年(第25回)および2021年(第26回)大会は、新型コロナウィルス感染症拡大の影響で開催はキャンセル。3年ぶりの開催となった2022年の大会は、11月に日程が大幅に移動されて開催されましたが、第28回AXCR2023はこれまで通り8月の開催となりました。

うれしさを爆発させる青木拓磨選手。「今度は101(チャンピオンゼッケン)をつけて走りたい」と来年の参戦も示唆。
うれしさを爆発させる青木拓磨選手。「今度は101(チャンピオンゼッケン)をつけて走りたい」と来年の参戦も示唆

今回のAXCRは、タイ南部の観光地として有名なパタヤをスタートし、ゴール地点は世界遺産として知られるワット・プーまで、タイからラオスにかけて国をまたいでのコースが設定されました。その総移動距離は2000kmにもおよびます。雨季のアジアでの開催で、コース各所には泥濘路や川渡りが設定され、厳しい戦いが予想されました。

AXCRで、同一チームによる1-2フィニッシュはこのTGRインドネシアチームが初となる。
AXCRで、同一チームによる1-2フィニッシュはこのTGRインドネシアチームが初となる

昨年の2022年は、三菱ラリーアートチームが復活参戦し、三菱トライトンが見事デビューウィンを果たす結果となりました。

その三菱ラリーアートチーム、今年は連覇を目指し、日本導入も発表された新型トライトンに車両を刷新しての参戦となりました。

チーム体制は昨年の覇者であるチャヤポン・ヨーター/ピーラポン・ソムバットウォン組、そして5位であったリファット・サンガー/シューポン・シャイワン組が継続参戦。そして田口勝彦/保井隆宏組の日本人ペアを起用して、昨年同様3台体制を敷いています。

他にもTOYOTA GAZOO RacingタイランドからハイラックスのGR-Sモデルのプロトタイプが2台参戦するなど、オート(四輪)部門41台、モト(二輪)部門22台(サイドカー1台を含む)の合計63台がエントリーしました。

実はTGRインドネシア・チーム内で体調不良のスタッフが出ており、1/3ほどがゴール地点までたどり着けずであった。この過酷さを物語る。
実はTGRインドネシア・チーム内で体調不良のスタッフが出ており、1/3ほどがゴール地点までたどり着けずであった。この過酷さを物語る

AXCRは8月13日にパタヤのウォーキングストリートでセレモニアルスタートを行った後、14日から本格的にスタートしました。

しかし、この初日のSS(スペシャルステージ)では競技車同士の正面衝突事故が発生、乗員は無事でしたが、事故車両が道をふさいで多くの車両が足止めとなってしまいました。また2日目のSSでは、ラリー中の後半出走車両の何台かが警察に止められてしまうなど、混乱が生じる場面もありました。

これによって主催者により、競技上のタイム調整がなされることとなりました。ここで幸運をつかんだのが青木琢磨選手でした。青木選手は初日午前中にトラブルが続き、リザルトでは大きく下位に沈んでいたのですが、この初日午前中のタイムが抹消されたことで、スタート後序盤の出遅れが帳消しになったのです。

●青木拓磨選手とは?

FIAの競技において、障がい者が健常者と同条件でハンデなしで優勝したのは世界初めてという。
FIAの競技において、障がい者が健常者と同条件でハンデなしで優勝したのは世界初めてという

青木拓磨選手といえば、ロードレーサーとして世界で活躍したライダーでした。伝説のライダー兄弟といわれている「青木3兄弟」の次男でもあります。

1990年に国内ロードレースへデビューし、1995-1996年の全日本ロードレース選手権スーパーバイク・クラスのタイトル連覇後、1997年にロードレース世界選手権(WGP GP500クラス)に参戦を開始し、非力なマシンながらシリーズランキング5位を獲得しました。

翌1998シーズンを迎えるにあたり、ようやくチームのエースライダーと同じマシンを手にして日本人初タイトル獲得も夢ではない、とささやかれていました。が、開幕前に行われたテスト中の事故で下半身不随となってしまい、その後は車いす生活を余儀なくされてしまいました。

青木選手はそれでもレース活動を続け、現在は車いすドライバーとして、さまざまな活動を展開し、2021年のル・マン24時間レース本戦にも出場した経験を持っています。

青木拓磨選手がこのアジアクロスカントリーラリーへ初出場をしたのは2017年のことでした。当時、三菱自動車/ラリーアートがハンドドライブ装置を備えたトライトンでの出場経験があり、その車両を青木選手に提供したことがキッカケとなりました。

実はこのアジアクロスカントリーラリーでの参戦は、長年サーキットで戦い続けてきた青木拓磨選手が、国際格式のモータースポーツの世界へ復帰する際にラリーを選んだ理由のひとつとなったのです。

●2023年は新体制のトヨタ・フォーチュナーで参戦

青木選手はこれまでにAXCRに14回参戦しています。ベストリザルトは2011年の総合3位でした。三菱トライトン、そしていすゞD-MAXとピックアップトラックをチョイスしていましたが、2014年からはSUV車両であるいすゞMU-X、そして2017年からトヨタ・フォーチュナーで参戦をしています。

今年はチームの体制を大きく変更することとなりました。トヨタ・フォーチュナーを3台用意し、エントリーも「takuma-gp」という青木拓磨自身のチームではなく、「TOYOTA GAZOO Racing INDONESIA(TGRインドネシア)」からの参戦となりました。昨年もそれまでのコ・ドライバー2名を乗せた1台体制から、2名乗車の2台体制を敷いたのですが、今回はさらに所帯が大きくなることとなりました。

この最も巨大なプライベートチームは、日本、タイ、インドネシアのチーム員たちからなる総勢42名のチームで、スタッフ移動車両は7台、メカニックサポートカーが2台、サポートトラック1台という規模です。

その青木拓磨選手は初日に、競技マシンの右フロントのドライブシャフトが抜ける症状が出て、FRでの走行を強いられました。この修理に時間を取られ、サービスの時間超過もあってペナルティを受けることとなりました。他にもエアインテークが外れるといったトラブルが発生し、初日は28位と大きく出遅れてしまいます。

2日目は7番手のタイムで走行を終え、復調を見せたのですが、この2日目を終えた時点で、初日午前中のSSのタイムが抹消が発表されました。これにより総合順位は一気に3番手に浮上することとなったのです。

絶好調男の青木拓磨選手に引っ張られてか、TGRインドネシアチームは、3日目のレグ3では、103号車(塙/染宮組)、105号車(青木/イティポン/ソンウット組)、121号車(トゥバグス/ジャトゥポーン組)の順で、なんとトップ3をトヨタ・フォーチュナーが独占するというミラクルな結果を出しました。青木拓磨選手はここで暫定総合トップに浮上し、チームメイトの121号車がそれに続く2番手に入り、このラリーの折り返しを迎えることとなっていきました。

●珍しく好天のアジアクロスカントリーラリーのコースを制して!

アジアクロスカントリーラリーは国をまたいで行われるラリーレイドということで、多くの移動を強いられる競技です。毎日のSS区間距離は200km前後、一日の総移動距離は400km近くあります。雨季のアジアでは、スコールのような雨により一気に路面がヌタヌタになってしまいます。

このラリーウィークも、前週からラオス国内では毎日の雨でメコン川の水位が上がっているという情報も得ていました。タイ国内で設定された3日間のSSは好天に恵まれましたが、ラオスに入ってからの4日目以降のSSのコンディションが厳しく変わることにも各チームは備えておりました。

が、ラオス国内でラリーが始まってみると、この後半日程も好天に恵まれることとなりました。川の水位は上がったままでしたが、逆に水位が高すぎてモト部門の参戦車が通行できないということで、5日目の後半セクションはキャンセルされるなど、泥濘地での走行の多くがカットされるということもあって、これが青木選手にとってはより好条件に結びつきました。

4日目にはチームメイトの塙組の103号車がエンジントラブルでリタイアすることとなったものの、青木車には大きなトラブルは発生せず、レグ4、レグ5の2日連続で2位のタイムをたたき出して総合トップを維持しました。

そして、総合2番手にいるチームメイトの121号車とは6分差、総合3番手に入っている三菱トライトンの101号車とは17分差をもって最終日を迎えることとなりました。

最終日は52kmほどのショートSSで、総合順位順にスタートしました。青木選手はトップを譲らないままこれをしっかり走り切って、見事、17年目、14回目の挑戦によって初優勝を遂げることができました。

(文・写真:青山義明)

この記事の著者

青山 義明 近影

青山 義明

編集プロダクションを渡り歩くうちに、なんとなく身に着けたスキルで、4輪2輪関係なく写真を撮ったり原稿書いたり、たまに編集作業をしたりしてこの業界の片隅で生きてます。現在は愛知と神奈川の2拠点をベースに、ローカルレースや障がい者モータースポーツを中心に取材活動中。
日本モータースポーツ記者会所属。
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