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■今のオレがいるのはすべて国さんのおかげ。感謝しかないね by土屋圭市
●息子にも『国光』って名付けたし!
2022年3月16日、82歳でお亡くなりになったレジェンドレーシングドライバー・高橋国光さん(※正確には「高」ははしごだか、「国」は旧字体)。
その国さんを偲ぶ「お別れの会」が行われた11月21日(月)(東京・ウェスティンホテル東京)には、自他ともに『高橋国光一番の弟子』と言われる土屋圭市さんも駆けつけました。
「元祖ドリキン・高橋国光」の名を受け継いだとも言える土屋さんは、グループAやル・マンで国さんとコンビを組み、数々の栄光を勝ち取りました。
そのレースを全て追ってしまうと、またまた本が何冊もできちゃうほどのエピソードがあるので、今回は特に印象に残るエピソードなどを伺いました。
●1992年JTC第3戦SUGO、1995年ル・マンで、国さんを表彰台へ!
1992年のグループA…JTC(全日本ツーリングカー選手権)って言われているときのSUGO 300kmレースで3位になったことが一番の思い出だね。「オレが国さんをグループAの表彰台に上げる!」と決めた時のレース。
国さんとは1992年のR32GT-Rから始まって、ポルシェでも一緒にコンビを組ませてもらった。
ル・マンでの優勝ももちろん思い出深いよね。LMGT2クラスのNSX-GT2で、ドライバーは国さん、アキラ(飯田章氏)とオレ。
予選は総合37位(クラス3位)だったのが、スタートグリッドに並ぼうとしたらミッションからオイルが漏れて黒煙! ピットで対策してたらピットレーン閉まっちゃって。
結局、ピットスタートのドベ(最下位)からスタートして、鬼の走りでクラス優勝♪ ドラマティックだよね!
●汚いレースが嫌いな国さんから教わったこと
国さんからのアドバイスなんていうのはいっぱいあり過ぎてね…。
そうそう、怒られたこともあるよ。レース中、相手にやり返したときに怒られた。倍返しじゃないけど、国さんに「相手が死ぬような、怪我するようなコーナーで仕掛けるんじゃない!」って。
国さんは綺麗なレースを心掛けていたからね、サイド・バイ・サイドとかテール・ツー・ノーズとか。レースを観に来てくれたお客様が喜ぶようなバトルを魅せる。
汚いことは一切しない。相手をはめるような、当ててスピンさせるような、弾き飛ばすような、そういうレースを国さんは一番嫌っていたね。
「そんなことまでして優勝なんかしても、何の意味もない」って。
オレの中でも、その言葉は一番生きている。レースは正々堂々と勝負して前に出る。
国さんにはもうね、ありがとう!しかないでしょ。本当に、まったくありがとうしかない…。
オレが国さんとのグループAレースからドーンと人気者になれたのも、国さんのお陰。国さんがいなかったら単なる普通のドライバーで終わってたよ。
国さんがいたから世界に連れて行ってもらえたし、ル・マンで優勝もできた。オレの今は、すべて国さんがいたからなんだよ。
土屋さんが国さんに憧れて…という逸話は有名な話。息子さんにも「国光」と名付けたほどです。元祖ドリキン・高橋国光が2代目ドリキン土屋圭市に与えたものは、とにかく大きく、温かかったのでしょうね。
(語り:土屋 圭市/文:永光 やすの/画像:AUTOSPORT誌、Racing on誌、永光 やすの)
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