アナログ時計存亡の危機も!マセラティ3200GTにまつわる「ここだけの話」を2人のイタリア人デザイナーが語る【越湖信一「エンスーの流儀」vol.004】

■マセラティの名車をデザインした2人が日本で再会

エンリコ・フミア&サンティッロ・フランチェスコと、トークイベントに集まったマセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの方々
エンリコ・フミア&サンティッロ・フランチェスコと、トークイベントに集まったマセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの方々

マセラティをこよなく愛する越湖信一さん。愛車が生まれた場所を見て、作った人を知るために、これまで何度もイタリア・モデナを訪れてきました。

今回は、越湖さんがイタリアに赴くのではなく、かつてマセラティ3200GTの内外装をデザインした2人のイタリア人デザイナーが日本で集った際の貴重なエピソード。あの有名なブーメラン・テールに、そんな秘密があったなんて…!?

●愛車のすべてを知るための「聖地巡礼」

私たちの愛車や、所有していないにしても大好きなクルマたちがどのようにして誕生したか。そんなビハインド・ストーリーに関心を持つ方も多いのではないでしょうか?

筆者も、かつて最初に所有したマセラティ・ビトゥルボの全てを知りたいという気持ちから、イタリアはモデナにあるマセラティ本社を訪ねることにしました。

当時のマセラティ・インポーターであったガレーヂ伊太利屋の社長・中村さんは正直な方だったので、「普通の自動車メーカーのつもりで訪ねたら、あまりに規模が小さいし、何も面白いことないですよ」とまでアドバイスしてくれました。しかし、すでに相当にマセラティ熱が高まっていた筆者は、その親切なアドバイスをモノともせず、取材に出かけたのでした。

現地に着いてからも、訪問日時の伝言ミスをはじめとする様々なトラブルに襲われたのですが、無事訪問が叶いました。思わず感涙が…笑。

そんな原体験から30年以上の年月が経っているのですが、今だ、懲りず同じその場所を年間何回も訪ねているワケです。

●エンリコ・フミアが日本にやってきた!

ギフトとして贈られたMASERATI CLUB OF JAPAN会報誌
サンティッロ・フランチェスコ(左)とエンリコ・フミア(右)。手にしているのは、ギフトとして贈られたMASERATI CLUB OF JAPAN会報誌

今回はイタリアに出かけるのではなく、逆にそのクルマを作った人物が日本に来るというお話。ピニンファリーナ在籍時にアルファロメオ164やスパイダー&GTV(916)のデザインを手がけた、旧知のエンリコ・フミアが久しぶりに日本へやってくるというニュースが入ったのです。

サンティッロ・フランチェスコ(左)とエンリコ・フミア(右)
日本で再会したサンティッロ・フランチェスコ(左)とエンリコ・フミア(右)

彼はマセラティ3200GTのインテリアもフィアット・グループに属しながら担当したことがあり、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン(MCJ)では、過去に何回か彼を囲んでのイベントを日本で開催しています。

そこでひらめきます。日本にはもうひとり、3200GTのエクステリア・デザインをイタルデザインで担当した、サンティッロ・フランチェスコというイタリア人デザイナーがデザインオフィスを構えているではないですか。この二人に同席してもらい、エクステリアとインテリアという違った観点で、3200GT誕生ストーリーを語ってもらおうとひらめいたワケです。

●3200GTが辿った数奇な運命

サンティッロがイベントの為に描き下ろしたドローイング
サンティッロがイベントの為に描き下ろしたドローイング

クルマの誕生ストーリーというのは、概して様々な要素が複雑に絡み合っているものです。その開発には社運を賭けた大きな投資が必要とされますし、また多くの人物が関わります。

ですから、立場変わればそのストーリーは全く違って見えたりもするわけです。

特にこの3200GTは複雑な経緯で誕生しており、マニア心をそそります。今回の企画は面白くなりそうです。

マセラティ・ビトゥルボに続く、少し大きなクーペを作ろうと最初に考えたのは、アレッサンドロ・デ・トマソでした。しかし、1990年頃のマセラティにはフィアットの資本が半分ほど入っていたため、それまでのようにデ・トマソの気まぐれでプロジェクトを動かすワケにもいきませんでした。

そこで3200GTのデザインのコンペが行われ、ジウジアーロなどに声が掛かりました。

そしてマセラティが完全なフィアット傘下となり、デ・トマソの資本が外れた1993年頃には、ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザイン案がその勝者となっていました。

1999年パリモーターショーにてデビューを飾ったマセラティ3200GT
1999年パリモーターショーにてデビューを飾ったマセラティ3200GT

ところが、それから約3年後にマセラティは突然、フェラーリ傘下となります。ルカ・ディ・モンテゼーモロのマネージメントの元、特にエンジニアリング開発はゼロからやり直すことになったのです。

この3200GTのデビューは1999年ですから、スタイリングの基本が決まってから、世に出るまで相当な時間が掛かりました。

その間に経営母体が3回も変わったのですから、そのストーリーは本が一冊書けるほどの波瀾万丈なものでした。

●お馴染みの「アナログ時計」に存亡の危機

エンリコ・フミアとサンティッロ・フランチェスコのイベント会場となった Santillo cicli & caffe The Garage
エンリコ・フミアとサンティッロ・フランチェスコのイベント会場となった Santillo cicli & caffe The Garage

10月15日に、ごく限られたMCJメンバーを集めてフランチェスコのショールーム&カフェにて、この二人によるトークイベントを開催しました。愛娘初の運動会応援をキャンセルしてまで数百kmをとばして参加する強者がいたという事実を知れば、いかにこの3200GTがエンスージアストに愛されているかがお解りでしょう。

もちろん、そのトークは血湧き肉躍るエキサイティングなものでしたが、その中で興味深いテーマをふたつほどピックアップしてみましょう。

フミアの手によるインテリア 中央のアナログ時計に注目
フミアの手によるマセラティ3200GTのインテリア。中央のアナログ時計に注目

その1:ダッシュボード中央に位置するオーバル型のアナログ時計の戦い(エンリコ・フミア)

ビトゥルボのインテリアにおけるひとつの特徴は、ダッシュボード中央のラサール製ゴールド・アナログ時計でした。

しかしモンテゼーモロはニューモデルからデ・トマソ色を一掃したいという考えを強く抱いていたため、フミアが提案したシルバーのより洗練されたスタイルのアナログ時計案にも強い難色を示しました。

ビトゥルボ系に採用されたラサール製ゴールド・アナログ時計
マセラティ ビトゥルボ系に採用されたラサール製ゴールド・アナログ時計

最終的には、彼の提案した左右対称のモチーフのアクセントとして、このアナログ時計が重要な役割を果たすこともあり、しぶしぶ承認したということです。

結果的には、このスタイルの評判がとてもよかったため、モンテゼーモロも直ぐに積極的肯定派となったということです(笑)。

●ユニークすぎるテールデザインが生まれた理由

ブーメラン型の特徴的なLEDテールライト
マセラティ3200GT。ブーメラン型のLEDテールライトが特徴的だった

その2:ブーメラン型テールライト採用に至るストーリー(サンティッロ・フランチェスコ)

3200GTのスタイリングはラウンド・シェイプが基本コンセプトであり、ジョルジェット・ジウジアーロとサンティッロが描いた初期アイデアでは、ラウンド・シェイプのリアと比較的オーソドックスな丸いテールライト案が描かれ、承認されました。

しかし、開発途中に空力特性を考えてコーダトロンカ(垂直に切り落としたタイプ)のリア形状へと変更されたこと、そしてフィアットのマネージメントより当時、先進の技術であったLEDライトを採用したいという要請から、イタルデザインのサンティッロ後任デザイナーが考案したブーメラン型が採用されることになったのです。

マセラティ3200GTのフロントのカットラインを説明するサンティッロ
マセラティ3200GTのフロントのカットラインを説明するサンティッロ

フツウの皆さんにとって「それがどうした」というような些細なハナシかもしれません。しかし、参加したMCJメンバーは彼らの話に大いに感銘を受け、興奮のうちにイベントは終了したのでした。

ところで、このフミア、サンティッロには「イタリア人であり、カーデザイナーであり、共に3200GTの開発に携わっている」ということ以外にも重要な共通点があります。それは二人がとても日本の文化を愛し、かつ日本の自動車スタイリングに対して強い危惧を持っていることです。

おっと、さらにもうひとつ。それはおふたりとも日本人の素敵な奥様を迎えているということも忘れてはいけません。

(文:越湖信一/Special thanks: Enrco Fumia, Francesco Santillo, Hideaki Mitsuoka, Rumiko Ozawa, Santillo cicli & caffe The Garage)

この記事の著者

越湖 信一

越湖 信一 近影
イタリアのモデナ、トリノにおいて幅広い人脈を持つカー・ヒストリアン。マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン代表。ビジネスコンサルタントおよびジャーナリスト活動の母体としてEKKO PROJECTを主宰。クラシックカー鑑定のオーソリティであるイタリアヒストリカセクレタ社の日本窓口も務める。著書に『フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディング』などがある。