鉄道開業150年。日本での鉄道発祥ゆかりの地「新橋〜横浜」を訪ねてみました

■日本に鉄道が生まれて150年、遺構スポットを愛でるとき

●150年間で大きく変化した新橋〜横浜間

150年前の1872年10月14日、日本最初の鉄道が新橋〜横浜間に正式開業しました。このルートの大部分は現在もJRの路線として健在ですが、実は150年の間に新橋駅と横浜駅の場所が変わるなど、大きく変化しています。そんな鉄道発祥の地の遺構を訪ねてみました。

日本の鉄道のスタート地点にある0哩標識(復元)

起点となる新橋駅ですが、現在の新橋駅は二代目です。1909年に烏森駅として開業し、1914年12月20日の東京駅開業に合わせて新橋駅に改称しました。

初代新橋駅は現在の汐留シオサイトにあり、車庫や工場を併設した一大ターミナルでした。しかし、旅客列車の起点としての役割を東京駅に譲って貨物駅化。駅名を汐留駅に改称しました。貨物駅化で構内も再整備。なお、開業時の駅舎は1923年の関東大震災で焼失しています。

その後、日本鉄道発祥の地として、1936年に0哩標識と約3mの線路を汐留駅構内に復元。これらは1958年に鉄道記念物に指定され、以後保存されてきました。

1936年に復元された0哩標識と線路

汐留駅は1986年11月1日に廃止。1987年の国鉄分割民営化後は日本国有鉄道清算事業団の管理下となり、売却する計画でした。しかし、バブル景気による地価高騰を懸念して売却を延期している間に、バブルが崩壊して地価が暴落してしまいました。

再開発が始まったのは1995年で、その際に初代新橋駅の遺構が発掘されました。遺構は国の史跡「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」と指定、翌1996年に「旧新橋停車場跡」に改められて、指定地域の追加される一方、一部の遺構は指定を解除されています。

保存される遺構は風化を防ぐため埋め戻され、遺構の上に駅舎とホームの一部(駅舎寄り25m)を再現した旧新橋停車場が設置されました。なお、旧駅舎の正面玄関の階段遺構や、ホームの遺構など、一部は地上から見えるようになっています。

再現駅舎の内部は、鉄道歴史展示室となっています。残念ながら内部は撮影禁止となっていますが、駅舎の基礎石の遺構を見ることができます。企画展示室では2022年11月6日(日)まで、第58回企画展「鉄道開業150年記念 新橋停車場、開業!」を開催中です。

●高輪の築堤は一部が保存予定

日本最初の鉄道が開業した頃のルートは海岸沿いが多く、一部は海上に設置した築堤を走っていました。現在の高輪ゲートウェイ駅がある付近も海上の築堤区間でした。

出土した築堤跡(2021年4月の見学会にて)

海上となった理由は諸説ありますが、高輪付近は国防上必要であるという理由で、兵部省が鉄道当局へ土地の引き渡しを拒んだためと言われています。

2021年の見学会で紹介された、三代目歌川広重が描いた築堤の絵

この築堤は1899年には拡幅して線路を3本に増やしていますが、明治から昭和にかけて埋め立てられ、広大な車両基地が建設されました。

しかし2009年からこのエリアの再編が始まり、車両基地は2013年までに廃止。高輪ゲートウェイ駅の建設に伴って線路の移設を行った結果、築堤の遺構800〜900mが出土しました。その中には信号機の土台も含まれていて、これは国内最古となります。

国内最古の信号機の土台

築堤の遺構のうち、線路をくぐる水路に架けた第7橋梁を含む80mと、公園の予定地部分40mを現地保存する予定になっています。また、信号機の土台がある箇所は国道15号線沿いに設ける広場に移設される予定です。

●初代横浜駅は現在の桜木町駅

品川〜横浜間は、鉄道が開業した1872年10月4日よりも4ヵ月前の6月12日に仮開業しました。つまり、新橋駅よりも品川駅、横浜駅の方が少しだけ古いということになります。横浜駅は現在の場所より2km南東の、横浜港に隣接した場所に設置されました。

JR桜木町ビル内に展示されている初代横浜駅のジオラマ

1887年に横浜〜国府津間が開業しましたが、ルートの関係上、横浜駅でスイッチバック(方向転換)する必要がありました。この不便を解消するため、1898年に横浜駅を経由しない短絡線(現在の東海道本線横浜〜保土ケ谷間)が開通。しかし横浜駅から国府津方面に乗り換える必要があったので、1915年に短絡線のルートを変更し、初代横浜駅から1kmほど北西に二代目横浜駅を開業させました。この時、初代横浜駅は桜木町駅に改称しました。

1923年の関東大震災で二代目横浜駅の駅舎は倒壊。以後仮駅舎で営業しましたが、1928年に現在地に移転して三代目横浜駅が開設され、ルートも現在のルートに再変更。二代目横浜駅は僅か13年で廃止されました。

なお、二代目横浜駅の遺構は地下鉄高島駅の近くにあるビルの敷地内に保存されています。この場所は公開空地となっていて誰でも立ち入ることができます。

初代横浜駅→桜木町駅も関東大震災で焼失し、1927年に再建。1964年には根岸線桜木町〜磯子間が開業して終端駅ではなくなりました。現在は高架駅となっていて、初代横浜駅の面影はありません。

初代横浜駅の駅舎は現在の桜木町駅西口付近にありました。西口から地下へ通じる階段の横には駅長室跡の石板が設置されています。また、西口の前には鉄道創業の地の記念碑と、鉄道の建築師長だった英国人技師エドモンド・モレルの生誕170年を記念した「モレルの桜」があります。

桜木町駅の南側にあるJR桜木町ビルの1階エントランスホールには、初代横浜駅のジオラマが展示されているほか、開業時に活躍した110形(当時は10号)蒸気機関車と中等客車(レプリカ)が展示されています。

高輪築堤の保存予定箇所を現在見るのは難しいですが、旧新橋停車場と二代目横浜駅の遺構、桜木町駅(初代横浜駅)のオブジェ、そしてJR桜木町ビルは気軽に行くことができるので、鉄道開業150年に思いを馳せてみるのはいかがでしょう。

(ぬまっち)

この記事の著者

ぬまっち(松沼 猛) 近影

ぬまっち(松沼 猛)

1968年生まれ1993~2013年まで三栄書房に在籍し、自動車誌、二輪誌、モータースポーツ誌、鉄道誌に関わる。2013年に独立。現在は編集プロダクション、ATCの代表取締役。子ども向け鉄道誌鉄おも!の編集長を務める傍ら、自動車誌、バイク誌、鉄道誌、WEB媒体に寄稿している。
過去に編集長を務めた雑誌はレーシングオン、WRCプラス、No.1カーガイド、鉄道のテクノロジー、レイル・マガジン。4駆ターボをこよなく愛し、ランエボII、ランエボVを乗り継いで、現在はBL5レガシィB4 GTスペックB(走行18万km!)で各地に出没しています。
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