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■ランボルギーニ ディアブロと食文化の意外すぎる関係
イタリアのクルマと食をこよなく愛するカーヒストリアン・越湖信一さん。今回は馴染み深いモデナの魅力と、旧知の間柄である名エンジニアとの忘れられないエピソードをご紹介。モデナで生まれるクルマがどうしてあんなにエネルギッシュなのか。その秘密の一部をちょっとだけ「おすそわけ」してもらいましょう。
●フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ、パガーニゆかりの地
イタリアのモデナは、“モーターヴァレー”と称されるエミリオ・ロマーニャ州に属し、ボローニャに隣接した小都市です。しかし、イタリアを代表するスポーツカーの聖地の中でも、まさに中心と言える重要な都市なのです。
モデナを起点としてフェラーリが生まれ、マセラティは未だその中心部に本社工場を構えているし、ランボルギーニやパガーニなど、多くのスポーツカーがこの地域で誕生しました。パンデミックを経験した今でもその卓越したブランディング・セオリーをベースに、彼らのビジネスは絶好調なのです。
●デ・トマソとの出会いが結んだモデナとの縁
そんなモデナと筆者の縁は、ひょんな出会いをしたアレッサンドロ・デ・トマソから始まったのですが、とにかく30年以上この街を訪れ続けています。
もちろん、クルマが私をモデナに引き寄せた訳ですが、そこには食というもうひとつの魅力もありました。この地域のモデナ料理にハマってしまった筆者は、そのめぼしきレストラン系を制覇し、その副産物としてメタボを獲得?したのです。
先だってモデナにてコロナに罹り、ホテル隔離を余儀なくされた時は悲惨でしたよ。友人のドクターはとにかく栄養をとれというので、部屋から一歩も出ることなく、3食カロリーの高いローカル・フードを食べ続けました。筆者の体がどうなったかは…想像つくでしょう。
モデナでは、前菜にニョッコ・フリットという揚げ物を食すことが多く、熱々のこれにモルタデッラ(ハム)や、サラミなどを挟んで、その油脂がしみ出してくるところを、パクッと食べます。おいしそうでしょう!
それに併せて、当地のランブルスコ種のぶどうを使った微発泡ワイン、ランブルスコをぐいぐいきます。おっと、このランブルスコは常温でたしなむのが、ひとつの作法でもあります。
モデナ周辺は牧畜がさかんですから、おいしい肉料理が、こういう前菜に続いてどんどん出てくるというのがモデナの作法なのです。
●ディアブロの開発を率いた旧友
9月のモデナ滞在最終日に筆者が会ったのは、ルイジ・マルミローリ(=ミスター・ディアブロ)。そう、ランボルギーニ・ディアブロのチーフ・エンジニアであり、ランボルギーニではカウンタック25thアニバーサリーから開発を手がけました。あの、オラチオ・パガーニによるカーボンファイバーなどの新素材開発にGOを出した人物でもあります。
そのルイジと筆者は何故かウマが合い、ここ何十年もモデナを訪れては、彼と街中のポルティコというアーケードのような屋根付回廊をぐるぐる歩きながら雑談にふけっているのです。
今年はクライスラーがランボルギーニを傘下に加え、ディアブロの開発が本格的に進み始めてちょうど35年になります。ルイジは、ガンディーニをデザイナーに起用し、パオロ・スタンツァーニが開発した特殊な縦置きエンジンレイアウトをブラッシュアップしてAWD化し、ディアブロを完成させました。まさに現在に繋がるランボルギーニDNAを正しく翻訳した一台を仕立てた、スゴい人物だと筆者は尊敬します。
●傑作スーパーカーづくりの原動力は肉料理にあり?
彼が以前、ディアブロの開発について語ってくれた時の一節を今も鮮明に覚えています。
「日本人は毎日、いろいろな国(籍)の料理を食べる。私たちはモデナの濃厚な肉料理だ。そんな食生活や文化からクルマのキャラクターが生まれるんだ。アメリカ? 彼らはポテトばっかり食っているから生まれてくるクルマもポテトさ」と笑うルイジでした。
これは彼がランボルギーニ時代、クライスラーとさんざんやり合ったことから、皮肉っているジョークでもあります。
しかし、日本のクルマ作りは改善をモットーにいいとこ取りをするけれど、その強い個性がないと彼は言っているのでしょう。そして、モデナ産のクルマたちがあれほどエネルギッシュなのも解る気がするではないですか。
そんな彼と、今回も食事のテーブルを囲みました。モデナという地でいつも楽しい会話と食卓を用意してくれるルイジに大きな感謝です。
(文&写真:越湖 信一)
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https://clicccar.com/2022/09/30/1221789/