日本橋で人力車が営業開始/人気レーサーの平手晃平生まれる/いすゞのクロスオーバーSUV・ビークロスがデビュー!【今日は何の日?3月24日】

■日本橋で人力車の営業が始まった「人力車発祥の日」

1870(明治3)年3月24日、人力車を発明したグループに製造と営業の認可が下り、日本橋で営業が始まりました。人力車は、西洋の馬車を参考にして、馬を人に置き換えた日本独自の乗り物。物珍しさもあってか大人気となり、2年後には東京都内だけで1万1000台以上の人力車が走ったそうです。今は観光地で活躍していますね。

3月24日には、女優の綾瀬はるか、アナウンサーの羽鳥慎一、タレントの天野ひろゆきと原田泰造、ボクシングの井岡一翔、レーシングドライバーの平手晃平、米俳優のスティーブ・マックイーンなどが生まれています。本日紹介するのは、平手晃平です。

●スーパーGTで2度のチャンピオンに輝く平手晃平が誕生

平手晃平(2010年) (C)Creative Commons
平手晃平(2010年) (C)Creative Commons

平手晃平は、1986(昭和61)年3月24日愛知県小牧市で生まれました。モトクロスが好きだった父親は、2歳で補助輪なしの自転車、3歳でモトクロスを晃平にプレゼントします。モトクロスに夢中になりますが、レース中のケガで一旦休止。小学生の高学年になると、次はカートに挑戦。13歳で全日本ジュニアカート選手権の初代チャンピオン、そして2002年16歳の時にフォーミュラトヨタで史上最年少優勝を飾ります。

翌年2003年には、トヨタの支援を受けてF3参戦のために渡欧。2006年に日本人として初めてF3欧州選手権で優勝しますが、F1へのステップアップという目標は果たせず、2008年に帰国します。

帰国直後の2008年には、フォーミュラ・ニッポンとSUPER GTのGT300クラスの両方で優勝。2011年にGT500クラスで初優勝、2013年と2016年にはチャンピオンに輝きます。2019年に、心機一転それまでのトヨタ/レクサスから日産/ニスモに移籍して現在も活躍中。一方で、自らカート大会を主催するなど、モータースポーツ普及のために積極的に活動しています。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょうか?

●オールラウンドスポーツSUVのいすゞ・ビークロスがデビュー!

1997(平成9)年3月24日、いすゞからクロスオーバーSUV「ビークロス」が発表され、4月から発売が始まりました。いすゞ自動車は、かつては117クーペやピアッツァジェミニといった人気の乗用車を生産していました。1992年に乗用車の自社開発および生産を止めましたが、商用車ベースのSUVとして登場したのが、ビークロスでした。

1997年にデビューしたビークロス
1997年にデビューしたビークロス
ビークロスの後ろ外観。ラウンディッシュなフォルムに、スペアタイヤ組み込み型のテールゲート
ビークロスの後ろ外観。ラウンディッシュなフォルムに、スペアタイヤ組み込み型のテールゲート

オールラウンドの優れた走行性能とともに注目されたのが、その斬新なスタイリングです。当時のSUVにはなかったスポーティで近未来的なフォルムは、多くの人の目を引きました。インテリアも、レカロ製バケットシートやMOMO製の本革巻きステアリングホイール、カーボン調メーターパネルなどを装備してスポーティさをアピール。パワートレインはビッグホーン用の3.2L V6DOHC24Vエンジンと電子制御4ATの組み合わせ。駆動方式は、電子制御トルクスプリット4WDでした。

ビークロスの運転席回り。レガロ製バケットシートにMOMO製ステアリングホイール
ビークロスの運転席回り。レカロ製バケットシートにMOMO製ステアリングホイール

注目されながらも国内販売は目論見通りに伸びませんでしたが、ビークロスの登場はその後のSUVに影響を与えたのは確かです。2000年以降、ビークロスのようなスポーティなSUVが相次いでデビューしていることからも分かりますよね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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