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■77年前、東京のほとんどが焼け野原に
1945(昭和20)年3月10日、太平洋戦争の末期に米軍B29爆撃機による大規模な爆撃「東京大空襲」が起こりました。東京の半分以上が焦土化し、死亡者は8万3793人、被害者の数は100万人を超えました。この東京大空襲の惨劇を受け、東京都は3月10日を「東京都平和の日」と定め、平和について考える日としています。
さて、3月10日に生まれたのは、ミュージシャンの米津玄師、タレントの博多大吉、歌手の松田聖子、俳優の渥美清、漫画家の藤子不二雄・A、画家の山下清、レーシングドライバーの鮒子田寛、米国女優のシャロン・ストーンなどです。本日紹介するのは、海外レース参戦のパイオニア鮒子田寛です。
●日本人として初めてF1やル・マン24時間に参戦した鮒子田寛が誕生
鮒子田寛(ふしだひろし)は1946(昭和21)年3月10日、京都市下京区仏光寺烏丸で生まれ、中学から大学まで同志社に通います。小さい頃からモノ作りが好きで、中学生の頃にはバイクに乗り(当時は14歳で原付OK)、高校を終える頃にはレーシングドライバーなることを決心。大学に入るとアルバイトで頭金を貯めてホンダ S600を手に入れ、1964年頃から鈴鹿サーキットでスポーツ走行を開始します。この時、すでにずば抜けた走りをしていたのでホンダからスカウトされて契約ドライバーになり、1966年には20歳の若さでチームトヨタに転じてワークスドライバーとなります。
1966年10月には、発売前のトヨタ2000GTを駆って72時間スピードトライアルに福沢幸雄らと挑戦し、計16の世界速度・国際速度記録を樹立しました。その後、数々の国内レースで優勝し、米国のフォーミュラAにも参戦。1973年には日本人として初めてル・マン24時間、さらに1975年にはF1のイギリスGPとオランダGPに参戦します。F1の決勝には進めませんでしたが、歴史的な偉業を成し遂げたといえるでしょう。数々の記録と歴史を作り、引退後はトムスのチーム監督やゼネラルマネージャー、英国トムスの社長など歴任して、2003年の帰国後は日本自動車レース工業会顧問や童夢の社長に就任。現在は同社の顧問として活躍されています。
さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?
●ダイハツのブーンにスポーツモデルのX4が登場!
2006(平成18)年3月10日、ダイハツが「ブーン」にスポーツ仕様の「X4(クロスフォー)」を追加しました。X4はブーンの前身である「ストーリア」にも設定されており、モータースポーツに参加することを前提に設定されたホットモデルです。
X4の心臓部であるエンジンは、1.0L直4DOHCインタークーラー付きターボエンジンで、最高出力/最大トルクは133PS/13.5kgmを発揮。トランスミッションはクロスギアレシオの5速MT、駆動方式はビスカス式のフルタイム4WD、さらにフロント/リアにスタビライザーやスポーツサスペンションなどを採用して、優れた走破性と操縦安定性を実現させました。
ベース車のブーンは比較的控えめなリッターカーですが、X4は異色のホットモデルでした。ただし当時はリッターカーやホットモデルそのものの人気が低迷していたため、ダイハツのモンスターマシンもスズキの4代目「アルトワークス」同様、あまり評判にならなかったですね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。
(Mr.ソラン)