遭難信号SOSが認定/東西ドイツが統一/ホンダ・シティの後継車ロゴ登場!【今日は何の日?10月3日】

■遭難信号がSOSに決まる、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一

打電機
打電機

1906(明治39)年10月3日、ベルリンで開催された第1回国際無線電信会議で、避難信号をモールス信号の「SOS(・・・ – – – ・・・)」とすることが決定されました。このSOS信号が初めて使われたのは、1912年に氷山に衝突して沈没した、映画でも有名な「タイタニック号」だと言われています。しかし、近くにいた船が無線機の電源を落としていたため、あの大惨事になったそうです。その後、新しい世界的な海上遭難安全システムが確立されたため、1999年1月31日をもってモールス信号による避難信号SOSは廃止されました。

ベルリンの壁
ベルリンの壁

また今日10月3日は、「ドイツ統一の日」です。約45年ぶりに東西ドイツが統一され、ドイツ連邦共和国が誕生したことにちなみます。東西ドイツを分断していたベルリンの壁の崩壊は、前年の1989年11月9日のこと、その後国際的に承認されて東西統一が成されたのでした。第二次世界大戦で敗れたドイツは、米・英・仏の占領地域であった西ドイツとソ連占領地域であった東ドイツが別々に建国したため、分裂状態になったという辛い経緯があったのです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●自然体コンパクトカーを目指したホンダ・ロゴがデビュー!

1996(平成8)年のこの日、2代目「シティ」の後継車にあたる「ロゴ」がデビューしました。シビックシティホンダが得意とする小型ハッチバックですが、それまでのように先進性をアピールするのではなく、目指したのは「ムリなく、スイスイ走れるクルマ」というキャッチコピーが示すように自然体のコンパクトカーでした。

1996年発売のロゴ
1996年に発売されたホンダ・ロゴ
1996年発売のロゴの後ろ外観、やや丸みを帯びたハッチバック
ロゴの後ろ外観、やや丸みを帯びたハッチバック

ボディスタイルは3ドア/5ドアのハッチバックで、室内空間を確保するためにショートノーズ、ハイト&ロングルーフを採用。親しみやいキュートな印象ですが、シビックやシティの特徴であったスポーティで個性的な印象はまったくありませんでした。その意味でも、ホンダとしては異質なモデルでした。

1996年発売のロゴのシート、コンパクトカーとしては広い前席シート
1996年発売のロゴのシート。コンパクトカーとしては広い前席シート

また、パワートレインもロゴのコンセプトを象徴しています。搭載された1.3L直4 OHCエンジンは、最高出力と最大トルクにはこだわらない低中速重視のエンジン。最高出力と最大トルクの発生回転数を低速側にシフトすることによって実用域のパワーが実感できるようにチューニングされました。ホンダはこれを「ハーフスロットル高性能」と呼んで扱いやすいクルマであることを強調しました。

ロゴの後継、2001年発売のフィット、,卓越したスタイルとスペースユーティリティで大ヒット
ロゴの後継、2001年に発売されたフィット。卓越したスタイルとスペースユーティリティで大ヒット

ロゴはコンパクトカーとして実用性の高いクルマでした。しかし平凡なスタイルはホンダらしくないと評判は良くなく、販売も伸び悩みました。ホンダにとっては新しい試みでしたが、ホンダファンはそれを望まなかったということですね。こうしてホンダ・ロゴは、2001年に後継モデル「フィット」の発売に伴い1代限りで生産を終えました。その反省を踏まえて? 登場したホンダらしい先進性をまとったフィットは、大ヒットしたのです。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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