女性に初の運転免許/トヨタとスバル提携を強化/日産のミニバン・プレーリーに2代目登場!【今日は何の日?9月27日】

■女性が初めて運転免許証を取得

1917(大正6)年9月27日は「女性ドライバーの日」です。栃木県の渡辺ハマさん(当時23歳)が、自動車運転免許試験に合格、日本女性初の自動車運転免許証を取得したことにちなんで制定されました。渡辺さんは東京の自動車学校で運転を習得し、自動車商会で運転手見習いをしながら、試験に臨んだそうです。昔は「女性は運転(特に駐車)が下手だ」などと言われがちでしたが、いまや駐車場で大型ミニバンを上手に操る若いママさん達をよく見かけますね。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●トヨタとスバルが関係強化、新たな業務資本提携に合意

2019年のこの日、トヨタスバルは両社の長期的提携の発展と強化を目指して、新たな業務資本提携に合意したと発表しました。

両社は2005年の業務提携以来、スバルによるトヨタ車両の受注生産やトヨタからスバルへのOEM供給、「トヨタ86」および「スバルBRZ」の共同開発、EV車両の共同開発などを推進しています。今回の合意は、次のステージへ向けてトヨタからスバルへの出資比率を上げるとともに、スバルもトヨタの株式を取得するものです。具体的には、トヨタがそれまでの議決権率16.83%から20%に達するまでスバルの株式を買い増しし、スバルも800億円を上限にこれと同額のトヨタの株式を取得するという内容です。これにより、スバルはトヨタの関連会社のひとつになりました。

●ミニバンの先駆車であった日産プレーリーの2代目登場!

1988(昭和63)年のこの日、日産から乗用車ベースのミニバン「プレーリー」の2代目がデビューしました。初代プレーリーは日本で盛んになりつつあったアウトドアブームを背景に、マルチパーパスビークル(多目的用途車)のミニバンとして1982年にデビュー。ミニバンの先駆車としてアウトドアファンから支持され、順調に販売を伸ばしました。プレーリーに追従して、翌年1983年には三菱から「シャリオ」、ホンダから「シビック・シャトル」といったライバルも出現しました。

1988年発売の2代目プレーリー
1988年発売の2代目プレーリー
1988年発売の2代目プレーリーの後ろ外観、スラントノーズで1モーションスタイル
1988年発売の2代目プレーリーの後ろ外観、スラントノーズで1モーションスタイル

そのような中、1988年に2代目がデビューします。先代のボクシースタイルから、スラントノーズのシャープなフォルムに変貌。先代がアピールしたセンターピラーレスは安全性の問題から廃止されたものの、スライドドアはそのまま継承されました。

1988年発売の2代目プレーリーのシートアレンジ、余裕の7人乗りシート
1988年発売の2代目プレーリーのシートアレンジ、余裕の7人乗りシート

シートアレンジは2/2/2名の6人乗り、2/3/2名の7人乗り、そして3/3/2名の8人乗りという3タイプを設定して多様性に対応。パワートレインは2.0L OHCエンジンに5速MTおよび4速ATを組み合わせて、駆動方式はFFと4WDが用意されました。

1982年発売の初代プレーリー、ボクシースタイルのミニバン
1982年発売の初代プレーリー、ボクシースタイルのミニバン

ミニバンとして魅力を増した2代目プレーリーは、アウトドア派だけでなく一般のファミリー層からも支持を受けて安定した販売を記録しました。しかしその後、よりファミリー志向の強いトヨタ「エスティマ」やホンダ「オデッセイ」などの本格的なミニバンが出現したため、存在感を失ってしまいます。1990年代半ばの日産は、バブル崩壊とともに経営状況が悪化、十分にモデルを強化できなかったことが低迷の理由だと思われます。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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