日本初の野球試合/モノレール開業/日産サニーに初のターボモデル!【今日は何の日?9月17日】

■横浜で日本初の野球の試合開催、東京モノレールが運行した「モノレールの日」

1871(明治4)年9月17日、横浜の居住地に住む外国人と米国軍艦「コロラド号」の乗員との間で、国内初の野球の試合が行われました。日本人に野球が広まったきっかけは、東京大学の前身である開成学校の米国人教師ホレス・ウィルソンが、学生に教えたことでした。1905年には、早稲田大学野球部が米国に遠征して技術や用具を持ち帰り、野球の認知度が高まります。大正時代には、東京六大学リーグや全国中等学校野球大会(現、甲子園大会)が始まり、野球人気が一気に盛り上がります。そして昭和になった1936年、日本職業野球連盟が創立されて、プロ野球リーグがスタートしたのです。

東京モノレール羽田線
東京モノレール羽田線

また1964年のこの日、東京オリンピックの開催に合わせて浜松町~羽田空港間の13.1kmで「東京モノレール羽田線」の運転が始まりました。モノレールには、車両の下にレールがある跨座式と、レールで吊り下げる懸垂式があります。日本ではほとんどが跨座式で、懸垂式は湘南モノレールと千葉都市モノレール、上野動物園のモノレール、広島市の安芸区みどり坂のスカイレールだけです。ちなみに、千葉都市モノレールの運行距離15.2kmは、懸垂式モノレールとして世界最長でギネス認定されているそうです。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●サニーとしてターボを初搭載した「ルプリ」登場!

1982年(昭和57)年のこの日、日産の人気ファミリーカー「サニー」に、初のターボモデル「サニーターボ・ルプリ」が登場しました。初代サニーは、1966年にデビューし、半年遅れでデビューしたカローラとともに、日本のモータリゼーションを牽引した大衆車です。その後もカローラと熾烈なトップ争いを繰り広げながら、進化を続けました。

1982年発売のサニーターボ・ルプリ
1982年発売のサニーターボ・ルプリ
1982年発売ルプリの後ろ外観、ターボ車とは思えない落ちつたスタイリング
1982年発売ルプリの後ろ外観、ターボ車とは思えない落ちつたスタイリング

初代から16年後の1982年、サニーに初めてターボエンジンを搭載したルプリが追加されました。ベースとなったのは、1981年にモデルチェンジした5代目サニーです。5代目はサニーが初めてFFとなったモデルで、当時は小型車として室内空間が広くできるFF化は先進的な技術でした。ルプリに搭載された1.5L直4 SOHCターボエンジンは、最高出力115PS/5600rpm、最大トルク17kgm/3200rpmで、ベースに対して最高出力は44%向上しました。これにより、1.6L DOHCエンジン搭載のカローラ/スプリンターを凌ぎ、同クラストップの走りを発揮しました。

1966年発売の初代サニー
1966年発売の初代サニー

フロントグリルには日産お得意の「TURBO」の逆文字(鏡文字)ロゴが描かれました。これは前走車のルームミラーに後続車が映った時に、「TURBO」の文字が正しく見えるようにしたもの。「ターボ車だから前のクルマはどきなさい」というアピールの目的があり、それだけターボモデルが速さの象徴であったということです。

当時は排ガス規制とオイルショックから解放され、高性能化とハイテク化の時代。トヨタはDOHCをフルラインナップしてアピール、日産はスカイラインやブルーバードをターボ化して対抗、大衆車のサニーまでもターボ化したのでした。負けるものかというメーカーの気持ちがよく表れていますね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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