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新型7代目フェアレディZプロトタイプ発表から数日が経ち、世のなかの人たちもメディアもZ熱に湧いています。クリッカーでも 歴代Z 解説していますが、今回の5回目は、バブルを象徴する1台のひとつ、1989年の4代目フェアレディZであるZ32を解説します。
■究極の「Z」の究極の姿? 頂点を極めたバブリーZ!
●4代目フェアレディZ (Z32型・1989(平成元)年8月)
元号改まって平成元年。世界で使われる西暦で書くと1989年は1988年のただの翌年に過ぎないのですが、日本流の元号表記になると話は別で、この年は日本史上、元号が「昭和」から「平成」に変わった大きな転換点であり、日本の自動車史に於いても、世界的に好景気だっただけに、品質感、技術、デザイン、クルマの質といった面でピークを迎えた年だと思います。
実際、その後の日本車史で名車扱いされるクルマの登場は、この年の前後に集中しているのです。
型式Z32なる、4代目フェアレディZが登場したのも、1989(平成元)年8月でした。
R32スカイラインやスカイラインGT-R、S13シルビア、P10プリメーラとともに、「901活動(90年代までに日産は技術面で世界一になろうという日産の社内スローガン)」の掛け声で開発された1台で、「901」の申し子たちも1989年前後に発売されたクルマです。
初期の汗だくスポーツ一辺倒でもない、かといってGT路線まっしぐらでもなく。スポーツとGTをうまく融合しながら、好景気時代が可能にした先進技術と高品質感いっぱいのZ32は、新しいZ像を見せつけてくれました。
ボディバリエーションが2シーター、2by2の2種なのはそのままに、2by2はTバールーフのみになりました。まず外形デザインが大変貌を遂げています。これまでの、いかにも力強さを標榜するかのようなプレスも、余計なプレスラインも一切なくし、面の張りだけで全体を包んでいます。
斜めから見ると、一見、過去Zよりも小さくなったように見えるのですが、これは長さに対して幅が広がった(一挙1790mmへ! 2by2は1800mm)ことによる目の錯覚。Z31までの3ナンバー車は、オーバー2L車に限り、どのみち3ナンバーなのだからと、オーバーフェンダーなどもくっつけ、部分的な3ナンバー化=車幅1700mm超=を果たしていましたが、1989年4月の物品税廃止、消費税の導入と同時期に、5ナンバー車と3ナンバー車の、税制上の大きな壁がなくなったことから、Z32では遠慮なく骨格ごと3ナンバー枠に踏み込みました。逆に全長は短くなっており、これが斜めから見たときのクルマをなお小さく見せているのです。それでいて、よく見るとロングノーズ・コーダトロンカになっているところもおもしろい(詳細は新旧のサイド、正面図参照)。
お見事なのは、2シーター、2by2がまったく同じ外観に見えるところです。この2種のボディの相違は、過去3代とも「よく見れば違いを見出せる」というものでした。ところがZ32ときたら、1台のZが乱視のせいで2台に見えているのではないかと思うほどおんなじ形。おそらくそれぞれを単体で見せられて「2シーター!」「2by2!」と即答できる人は少ないでしょう。間違い探しのように見比べてやっと気づくのはボディ左の給油口位置の違いで、リヤタイヤの前にあるのが2シーター、後ろにあるのが2by2・・・それ以外の部分は、違いを見出すことができないくらい酷似しています。この酷似ぶりも、2ボディの全長差は215mmと意外にあるのも即座にわからないのがデザイナーの腕前の見事なところです。
インテリアも大きく変わりました。両脇がドアトリムに流れるようにアラウンドしたインストルメントパネルは、S13シルビアの考え方をさらに推し進めたものでしょう。ゆったりした傾斜のコンソールは高めの位置で前から後ろまで流れていきますが、そのコンソールサイドからメーター下&グローブボックス、ドアトリムに、連続してジャージが貼られています・・・男くさければスポーツとでもいいたげだった過去Zたちとは大違いで、90年代目前のZは、ときにはほのかな香水を吹き付けながらフォーマルなスーツ姿でも違和感なく乗れることを目指したのかも知れません。
それを強く感じさせるかのように、ドライバーをその気にさせる3連メーターは廃止。一方、Z31では控えめで、やや実験的でもあったメーター脇のサテライトスイッチ(Z32では「手元集中コントロールスイッチ」の名称に)に本腰が入れられ、メーター左に空調コントロール一式とワイパースイッチが、右にはリヤ熱線、クルーズコントロール、フォグやライトのスイッチなどが組み込まれました。
●バブルを極めた?てんこ盛りエンジンスペック
技術面はバブリーです。
エンジンは「V型6気筒3000ccツインカム24バルブツインインタークーラー付きツインターボエンジン PLASMA-VG30DETT」という、前ふりが長い280ps版と、「V型6気筒3000ccツインカム24バルブエンジン PLASMA-VG30DE」の230ps版の2種です。Z31は一度V6に集約しながら途中で直6を再登板させるなど、どこか優柔不断なところがありましたが、こんどこそV6に統一されました。逆に直6に比べてエンジン高さをいくらかでも抑えることができるV6以外は絶対載せないことを決意した、低い低いフードのフロントデザインなわけです。
ほかに日産式4輪操舵のSUPER HICAS、4輪マルチリンクサスなどについては他メディアで語られていると思うので省略。
ここではあえてZ32のヘッドライトについて語りましょう。
●あの超スラント角度を実現させたヘッドライトの秘密は?
注目点は、これほどスラントしたフード面にリトラクト式でもないライトを内蔵したことです。このライト位置、フードの延長面だけに、垂直面からの傾斜角(スラント角)は60°。一般にライト機能が成り立つスラント角は30°までといわれており、30°以上になるとレンズによる光の屈折で光が下方に向かってしまいます。ましてやZ32はその倍の60°。本来、ランプ機能が成立するはずのない外形デザインで、初代のFRP云々どころではない問題にぶつかったのでした。
この難題をZ32では配光をレンズカットでではなく、リフレクターの多段化と外側レンズを素通しにすることで解決しました。と書くと、平凡な策に見えますが、当時のヘッドライトは配光のコントロールを主にレンズ内面の凹凸だけで行っており、リフレクターで行う例はなかったのです。リフレクターの凹凸だけで配光を行った初の国産車は、Z32の2か月後に出た1989年9月のホンダアコード/アスコット/アコードインスパイア/ビガーということになっていますが(余談ですが、当時のアコード4兄弟の「マルチリフレクターヘッドライト」、複雑なリフレクターに反射する夜のライト光のキラキラが神秘的な美しさだったよ!)、構造を見るに、Z32のほうが日本初といってもよさそうです。当時の日産、何か名称をつけて大いばりすればよかったのに!
それにしてもいまや軽自動車にまで、たくさんのLED素子で、対向車、先行車を幻惑させないハイビームが実用化されている時代ですから、30年以上の時間経過なら当然とはいえ、いまのライトはZ32時代とはまったく別のものになったものです(もちろんいまでもハロゲン式は残っていますが)。
【スペック】日産フェアレディ300ZX ツインターボ 2by2(GCZ32型・4AT・1989(平成元)年8月)
●全長×全幅×全高:4525×1800×1255mm ●ホイールベース:2570mm ●トレッド 前/後:1495/1535mm ●最低地上高:130mm ●車両重量:1570kg ●乗車定員:4名 ●最小回転半径:5.6m ●タイヤサイズ:225/50R16 ●エンジン:VG30DETT(水冷V型6気筒 DOHC ターボ付) ●総排気量:2960cc ●圧縮比:8.5 ●最高出力:280ps/6400rpm ●最大トルク:39.6kgm/3600rpm ●燃料供給装置:ECCS(電子制御燃料噴射) ●燃料タンク容量:72L(プレミアム) ●サスペンション 前/後:独立懸架マルチリンク式/独立懸架マルチリンク式 ●ブレーキ 前/後:ベンチレーテッドディスク式/ベンチレーテッドディスク式 ●車両本体価格(当時・東京価格、消費税抜き):440万円
■フェアレディZ コンバーチブル(1992(平成4)年8月)
Z32登場から3年、オープンに近いTバールーフがあるのにもかかわらず、ここにきてZ史上初のフルオープンモデル「フェアレディZコンバーチブル」が追加発売されました。
開発スタートは90年ですから、約2年で完成したことになります。
これくらいの値段のクルマとなると幌の開閉も電動式となりそうですが、実際には手動式が採択されました。開閉が割と容易に、しかも30秒ほどという短時間で行えること、1日のうちの開閉頻度がそう高くはないであろうとの判断からです。
通常、既存車種のオープン型は、柱や屋根が省かれることによる剛性確保のため、Zクラスともなるとその補強に70~100kgほどの重量がかけられますが、当時のコンピューターシミュレーションによる、軽量化を念頭にした構造解析と、幌を収納するリッドやトランクリッドにアルミを使用したことにより、重量増は50kgほどに抑えられています。
●ターボモデルは存在しなかったコンバーチブルモデル
エンジンは自然吸気のVG30DEのみ。オープンによるクルージングには自然吸気こそふさわしいという、開発当初からの方針でした。
他には運転席エアバッグ、本革シートを標準化。
コンバーチブル追加と同時にZ32全体も変更を受けており、運転席エアバッグのオプション化(いかにもこの時代的!)、他にシート地やボディカラーの変更を受けています。
【スペック】日産フェアレディZ コンバーチブル(4AT・1992(平成4)年8月)
●全長×全幅×全高:4310×1790×1255mm ●ホイールベース:2450mm ●トレッド 前/後:1495/1535mm ●最低地上高:125mm ●車両重量:1530kg ●乗車定員:2名 ●タイヤサイズ:225/50R16 ●エンジン:VG30DET(水冷V型6気筒 DOHC) ●総排気量:2960cc ●圧縮比:10.5 ●最高出力:230ps/6400rpm ●最大トルク:27.8kgm/4800rpm ●燃料供給装置:ECCS(電子制御燃料噴射) ●燃料タンク容量:72L(プレミアム) ●サスペンション 前/後:独立懸架マルチリンク式/独立懸架マルチリンク式 ●ブレーキ 前/後:ベンチレーテッドディスク式/ベンチレーテッドディスク式 ●車両本体価格(当時・東京価格、消費税抜き):488万円
■マイナーチェンジ(1998(平成10)年10月)
モデルライフ終盤までの間にZ32も数度の変更を受けていますが、外観変更を伴うマイナーチェンジは1998(平成10)年10月に行われました。考えてみると、フロントフェイスの印象を変えるマイナーチェンジはZの歴史の中でもこれが最初かもしれません。
バンパーは開口形状が変わり、あご部分も明確なスポイラー型にしたものになりました。
ヘッドランプの外観形状は同じですが、ロー側のプロジェクター式ランプと通常のハイビームがクリアレンズ内側で分断されています。何よりもランプは、日産が1996年の改良型2代目テラノで国産乗用車として初採用したキセノンヘッドライト(一般にはディスチャージヘッドライトもしくはHIDと呼ぶ)に変わりました(ツインターボ車に標準、他はオプション)。
内装では車種によってブラックウッド調や新カーボン調のパネルを一部分に採り入れたほか、白地に黒文字・・・ではなく、ゴールド地に黒文字のメーターパネルに変更、タン色革シート+2トーンインテリアも新たにオプションで用意されています。
力が入っているのは運動性能向上への対応で、メンバー部分の板圧向上、一部車種についてはフロアトンネルメンバーの大型化、ドアロック上部にドアと車体の結合を強化する対策を施すなど、通常のマイナーチェンジの域を超えた改良を受けています。
この時代はバブル崩壊後で、クルマもマイナーチェンジと称しながらコスト削減を目的に便利デバイスを剥ぎ取る例が多かったのですが、Z32もある部分についてはコスト削減策が見られたものの、全体的にはブラッシュアップのマイナーチェンジだったように思います。
【スペック】日産フェアレディVersion S ツインターボ 2シーター(CZ32型・5MT・1998(平成10)年10月)
●全長×全幅×全高:4305×1790×1245mm ●ホイールベース:2450mm ●トレッド 前/後:1495/1535mm ●最低地上高:125mm ●車両重量:1520kg ●乗車定員:2名 ●最小回転半径:5.4m ●タイヤサイズ:225/50R16 ●エンジン:VG30DETT(水冷V型6気筒 DOHC ターボ付) ●総排気量:2960cc ●圧縮比:8.5 ●最高出力:280ps/6400rpm ●最大トルク:39.6kgm/3600rpm ●燃料供給装置:ECCS(電子制御燃料噴射) ●燃料タンク容量:72L(プレミアム) ●サスペンション 前/後:独立懸架マルチリンク式/独立懸架マルチリンク式 ●ブレーキ 前/後:ベンチレーテッドディスク式/ベンチレーテッドディスク式 ●車両本体価格(当時・東京価格、消費税抜き):399万円
●そして、スポーツカー終焉の時代へ、、、
この頃になると環境保護を背景とする排ガス規制のさらなる強化、衝突試験対応によるボディ対策など、クルマに対してお行儀の良さが厳しく求められるようになってきました。要するに自動車を造る方、使う方、伝える方(われわれ)にとって、クルマをただただ楽しいもの扱いしたり、クルマのすごさ、速さをもてはやしていい時代は終わったのです。まずそのあおりを受けたのがスポーツカーカテゴリーのクルマで、日産ならZ32、ほかにスカイラインGT-Rが生産中止に追い込まれました。
このときのZの廃止が、日産の、そして日本のスポーツカーの歴史に終止符が打たれた瞬間でした。日産だけではなく、トヨタのスープラ、マツダのアンフィニRX-7、ホンダNSX・・・2000年前後は相次いでスポーツカーが生産中止に追い込まれた、スポーツカー受難の頃だったのです。
(文:山口尚志 写真:花村英典/日産自動車/モーターファン・アーカイブ)