「スズライト」の登場で幕が開けた軽自動車市場ですが、鈴木自動車はその後も軽自動車のパイオニアとして、積極的に新しいモデルを投入しました。
「スズライト」から「スズライト・フロンテ」を経て、1967(昭和42)年に大ヒットした「フロンテ360」へと進化。「フロンテ360」は、空冷2ストローク3気筒エンジンを搭載した乗用車モデルで、軽自動車とは思えない軽快な走りが人気を呼びました。
また、1965(昭和40)年には少量生産ながら「フロンテ800」を発売して小型自動車にも進出したのでした。
第2章 軽自動車のパイオニアとして足跡
その3.「スズライト」に続いた軽乗用車モデル
●「スズライト」シリーズの進化
1955(昭和30)年に登場した「スズライト」は、当初セダンSS(価格42万円)、ライトバンSL(39万円)、ピックアップSP(37万円)の3モデルを用意していましたが、量産効果を出すため3年後の1958(昭和33)年には価格が抑えられるライトバンの1車種に絞られました。
1959(昭和34)年に、2代目「スズライトTL」がデビューしましたが、これも横開きテールゲートを備えた商用車のライトバンでした。商用車は物品税が非課税のため、販売価格を下げられるメリットがあります。物品税とは、生活必需品は非課税にして贅沢品には課税するというもので、商用車は非課税ですが軽乗用車については当時15.5%の物品税が課せられていました。
1962(昭和37)年には、「スズライトTL」のテール部をトランクルームに改造した軽乗用車「スズライト・フロンテTLA」を発売。その翌年発売の「スズライト・フロンテFEA」は、1963(昭和38)年の第1回日本グランプリのツーリングカー400cc以下クラスで優勝して技術力の高さを実証しました。
その前年の1962(昭和37)年には、2輪車が世界GP「マン島TT」の50ccクラスで念願の初優勝を飾っており、鈴木自動車の2ストロークエンジンの性能と耐久性の高さを国内外に大きくアピールしたのでした。
●乗用車メーカー再編成構想と小型乗用車「フロンテ800」の発売
1965(昭和40)年、鈴木自動車は小型自動車「フロンテ800」を発売しました。
最高出力41PSの水冷2ストローク3気筒エンジン搭載の小型FFサルーンですが、次に述べる「乗用車メーカー再編成構想」に対応するために発売したモデルで、そもそも販売を増やそうとする意図はありませんでした。
「乗用車メーカー再編成構想」とは、乗用車の輸入自由化を控えて国産乗用車の競争力強化のため、通産省が1961(昭和36)年に提唱した構想です。乗用車メーカーを以下の3グループに分けるもので、自動車工業会に検討を依頼しました。
・量産車グループ
・スポーツカー、高級車グループ
・軽乗用車グループ
この乗用車メーカー再編成が実施されれば鈴木自動車が軽乗用車グループに分けられるのは必至で、小型乗用車への進出が困難になることを懸念して、急遽小型乗用車「フロンテ800」の開発を進めたという経緯があったのです。
しかし独立独歩を希望する乗用車メーカーの反対により、実際には乗用車メーカー再編成構想が実現することはありませんでした。
●軽乗用車「フロンテ360」の大ヒット
1967(昭和42)年、「フロンテ360」がデビューしました。
新設計の乗用車モデルで、鈴木自動車がスズライトで初採用して以来続けていたFFではなく、RR(リアエンジン・リアドライブ)でした。排気量356ccの空冷2ストローク3気筒エンジンと軽量ボディの組み合わせで実現したRRの軽快な走りが人気を呼び、大ヒットしました。
高性能スポーツバージョンのビートマシーン「フロンテSS360」は、最高出力を25PSから36PS、つまりリッター100PSにまで引き上げ、最高速度は125km/h、0-400m加速では軽自動車初の20秒切りを達成しました。
小さな軽自動車でもこれだけ走れるということを実証して、軽のモータースポーツの火付け役になったのでした。
(文:Mr.ソラン 写真:スズキ)
第10回に続く。
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