「知恵の輪」というのは、タイロッド(フロントタイヤに舵角を与えるために押したり引いたりするロッドのこと)の途中にかませるスペーサーです。ホントにただのスペーサーです。しかし、「知恵の輪」をつけると、フロントタイヤの切れ角が増すのです。それはつまり、ドリフトで角度をつけやすくなり、スピンしにくくなるということを意味します。
従来、フロントサスペンションの大手術でもしないかぎり実現できないと思われていた切れ角アップを、ごく簡単なパーツで実現してしまう大発明でした。とはいえ、あまりにも構造が簡単すぎるので、類似品が多数出まわり、のむけんはあまり儲からなかったそうです。なお、現在のドリフト競技車両はもっと切れ角を増やすために大手術を行っているものが主流です。
そのほかにもテコの原理を強化してサイドブレーキをききやすくする「タツノオトシゴ」や、リヤのサスペンションメンバーの取り付け角度を変えてトラクション性能を調整できる「パイナップル」などなど、常人が思いつかないような製品をいくつもリリースし、ドリフト愛好家から支持されてきました。
そして、2000年秋、全日本プロドリフト選手権の第1戦が開催されました。この大会が翌年の第2戦からD1GPという名称を与えられ、世界初のプロによるドリフトシリーズ戦となったわけです。のむけんも第1回からこの大会に参戦していますが、その第2戦、のむけんはパーツメーカーであるブリッツからオファーを受け、ドリフト史上初のパーツメーカーワークスドライバーとなったのでした。
しかし、この当時ビデオ出演やイベントなどで忙しかったのむけんは、ふだんまったくドリフトをしていませんでした。また、のむけんが使っていたダンロップタイヤも、阪神淡路大震災以降スポーツ性能の開発で後れをとっていた時期だったようで、のむけんはあまりいい成績が残せませんでした。
それでものむけんは影響力を持っていました。この時代のドリフトはスピード全盛期でしたが、スピード勝負では分が悪いと判断したのむけんは、角度とタイヤスモークで派手にアピールする走りに切り替えました。
これがめっぽうカッコよかったため、のむけんの走りは大人気となり、のむけんが使っていたER34型スカイラインは、中古相場が上昇したほどでした。また、それまでスピード系だったドライバーも、角度と白煙を採り入れたスタイルに変更していき、のむけんの走りを発端にしてドリフトのトレンドが変わりました。