レジェンド・のむけん引退! D1参戦前からの功績を辿る【D1GP TOKYO DRIFT】

やがて、のむけんも運転の勘を取りもどし、ダンロップタイヤの性能も向上すると、のむけんは上位に入ってくるようになりました。2004年に初優勝すると、2006年には熊久保選手と最後までチャンピオン争いを繰り広げ、わずかな差でシリーズ2位に終わりました。

この頃ののむけんの人気はものすごく、ビデオオプションのレポーターとしてのむけんがスーパーGTに取材に行くと、スーパーGTの選手よりもサインを求めて群がるファンが多いとか、しまいにはスーパーGTの選手までのむけんにサインを求めたといった話が聞かれました。

また、のむけんはこの時期D1GPの選手会長を務め、副会長の熊久保選手らとともに、選手のマナーや地位の向上に尽力しました。

しかし、2010年代に入ると、のむけんはマシンの戦闘力の面で後れをとるようになってきました。また、走りのスタイルが進化していくなかで練習時間の不足もひびくようになり、のむけんは上位入賞が減っていき、戦闘力のあるチーム体制も作れなくなってしまいました。

そんななかで2018年初頭、今シーズンかぎりでの引退を表明したのです。

けっきょく、のむけんがD1GPでチャンピオンを獲得することはありませんでした。しかし、のむけんはスタイルやマシンづくりや認知度の向上など、さまざまな面でドリフト界に多大な功績を残してきました。それがわかっているからこそ、ファンだけでなく関係者やほかの選手も、D1GP最終戦ではのむけんに感謝の言葉を伝えていました。とはいえのむけんもまだまだ50代前半。才能あふれるひとですから、またちがう形で活躍してくれることでしょう。

さて、このD1GP第8戦。単走はYUKE’S Team ORANGEの末永直登選手が優勝。

そして、追走トーナメントのベスト16でランキング2位の川畑選手が敗れた時点で、D-MAXの横井昌志選手のシリーズチャンピオンが決まりました。

決勝では、DIXCEL TOYO TIRESの内海彰乃選手とTOYO TIRES GLION TRUST RACINGの末永正雄選手が対戦。末永選手にミスが出て、内海選手がD1GP参戦18年目にして初優勝を遂げました。

 

(まめ蔵・写真提供:サンプロス)

【関連リンク】

D1グランプリの情報は公式サイト(http://www.d1gp.co.jp)へ。ビデオオプションの詳しい情報は、D1公式サイト(www.v-opt.co.jp)まで。

大会の裏側や車載映像、ドローンでの映像など、競技をより深く掘り下げたオフィシャル映像は、Vimeoで有料配信されています。『vimeo D1GP』で検索してみてくださいね。

この記事の著者

まめ蔵 近影

まめ蔵

東京都下の農村(現在は住宅地に変わった)で生まれ育ったフリーライター。昭和40年代中盤生まれで『機動戦士ガンダム』、『キャプテン翼』ブームのまっただ中にいた世代にあたる。趣味はランニング、水泳、サッカー観戦、バイク。
好きな酒はビール(夏場)、日本酒(秋~春)、ワイン(洋食時)など。苦手な食べ物はほとんどなく、ゲテモノ以外はなんでもいける。所有する乗り物は普通乗用車、大型自動二輪車、原付二種バイク、シティサイクル、一輪車。得意ジャンルは、D1(ドリフト)、チューニングパーツ、極端な機械、サッカー、海外の動画、北多摩の文化など。
続きを見る
閉じる