もともと日本車は「ミラーフェチ」だった!? レクサス・ESのデジタルアウターミラーだけじゃない、「初」登場のミラーあれこれ

レクサスの新型ESが、量産車として初めてデジタルアウターミラーを搭載することになりました。はたしてどんな使い勝手なのか試乗が楽しみですが、ちょっと待った!

もともと日本車がバックミラーに対して並々ならぬ執着を持っていたのをご存知でしょうか?

●日本の厳しい駐車場事情を考えました!(日産ローレル)

日本でドアミラーが認可されたのは1983年のこと。それまではボンネットの前のほうにニョッキリ生えるフェンダーミラーしか認められませんでした(キャブオーバーのトラックなどは除く)。

その後、かっこいいドアミラーが普及するにつれて出てきたのが「出っ張ってて邪魔」という声。中でも駐車スペースが車幅ギリギリというクルマオーナーには死活問題でした。

そこで誕生したのが電動格納式ドアミラー! 1984年、C32型日産ローレルが世界で初めて採用した画期的な装備です。いまでは輸入車にも当たり前の装備ですが、発端は日本の厳しい駐車場事情だったんですなあ。

●フェンダーかドアか迷ったので両方付けました!(日産スカイライン)

ドアミラーが認可された当時は、ドアミラー派とフェンダーミラー派に分かれて、どっちが見やすいか熱い熱い議論が戦わされたのですが、それならば、と登場したのが、R31型日産スカイラインのアンシンメトリーミラー(1985年)。なんと運転席側はドアミラー、助手席側はフェンダーミラーという非対称スタイル! 視線移動を最小限にという理屈でしたが1年でカタログから消えました。日産のチャレンジングな姿勢に乾杯です。

この画像ではドアミラーですが、手前側だけフェンダーミラーだったんです!

●「鏡はいつもきれいに」というこだわり3選(日産レパード&シーマ、トヨタマークII)

日本人には「鏡はいつもきれいでなくては」というこだわりがあるのかもしれません。その草分けが、1980年に登場した日産(またかよ!)レパード。ミラー自体はフェンダーミラーでしたが、なんとちっこいワイパー付き! こいつでクリアな視界を確保しようとしたわけです。

この発想はドアミラー時代にも受け継がれます。88年に登場した日産(もうなにもいいません)シーマは、上級モデルのドアミラーにワイパーを装着し、ニッポンが誇るおもてなしの心を表現していました。

しかししかし、いくらドアミラーにワイパーを付けても、サイドウインドウ自体が濡れていたら意味がありませんね。こりゃなんとかしなくては、と登場したのがトヨタの80系マークII(とその兄弟車)です。なんとミラー自体ではなく、サイドウインドウにワイパーが付いており、雨の日でもしっかりミラーが見える工夫がなされていました。下の画像は当時のモーターファン別冊の解説記事です。

もはや執念を感じるレベルですね。

●一足先にルームミラーをインテリジェント化しました(日産エルグランド他)

ドアミラーより先にインテリジェント化が進んだのがルームミラーです。2014年に日産(笑)が発表したスマート・ルームミラーは、ルームミラーと後方カメラの画像が切り替えられるようになっており、ラゲッジスペースにでかい荷物があっても後方確認ができるようになりました。

 

この技術、ホンダの新型CR-Vにもオプション設定されたようで、今後は普及が進みそう……と書いていてなにか落ち着かない。あ、昔からパネルバンのトラックの後ろに、カメラ付いてましたよね。

調べてみたら先鞭は佐川急便さんでした。絶対に事故を起こさない体制をめざして保有車両7200台にリアカメラを付けたのが、なんと1986年のことだそうです。もちろん当時はルームミラーに画像を映す技術はなくて、 運転席に小さなブラウン管テレビを持ち込んだそうですが。

それにしても日本って、ミラーフェチだったんですねえ。

(角田伸幸)

この記事の著者

角田伸幸 近影

角田伸幸

1963年、群馬県のプロレタリアートの家庭に生まれる(笑)。富士重工の新米工員だった父親がスバル360の開発に立ち会っためぐり合わせか、その息子も昭和期によくいた「走っている車の名前が全部言える子供」として育つ。
上京して社会人になるも車以上に情熱を注げる対象が見つけられず、自動車メディアを転々。「ベストカー」「XaCAR」で副編集長を務めたのち、ポリフォニー・デジタルにてPlayStation用ソフトウェア「グランツーリスモ」シリーズのテキストライティングに携わる。すでに老境に至るも新しモノ好きで、CASEやパワートレインの行方に興味津々。日本ディープラーニング協会ジェネラリスト検定取得。大好物は豚ホルモン(ガツとカシラ)。
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