開発者である以上、クルマを乗りこなす技術を持っていなくてはなりません。当時のマツダでは、ポール・フレールさんを招いてドライビングスクールを催していました。
あるとき、足が骨折した際も参加してくれ、270km/hでテストコースを激走。「右足が折れてたら参加しなかったけどね」と軽口を言うほどの余裕を見せていたそうです。それが83歳のときというからなお驚きです。
そのドライビングスキルは神の領域で、あるときS路で後輪を脱輪させてしまった貴島さん。それを見たポールさんはタイヤ1本ぶんのラインの違いを細かく的確に指摘したそうです。