「東京オートサロン」に名称変更されたのは「あぶない刑事」と同じ1987年から。昔の東京オートサロンを見てみよう!その2【Play Back the OPTION Spin off】

前回、「東京エキサイティングカーショー」の時代、1983年から1986年の4回分をチェックしました。今回は「東京オートサロン」と名称変更された1987年からのショーマシンを見ていきましょう。切った貼った!?の武骨でカッコ良い改造車から、小洒落たチューニングカーへと進化していった時代です。では、ドーゾ!

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【東京オートサロン1987】

1987年1月9〜11日 東京国際貿易センターB館・C館
来場者数:12万4815人

【1987年とは?】国鉄分割民営化JR発足/ミニ四駆大ブーム/BOOWY「マリオネット」大ヒット/「あぶない刑事」TV放映/映画「マルサの女」上映


チューニングの更なる発展とカスタマイズの未来のため、東京エキサイティングカーショーから東京オートサロンとモデルチェンジされた第1回目です。12万人突破!! 凄いですね〜。で、目を引いたのは、ポルシェ・ベースなど海外からの出展でした。また、最高速も全盛期! Z、ソアラ、スープラ絶好調です!

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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