前回の東名全開族に続き、今回は大阪環状族です。
大阪環状は一種独自な走りのステージ!?で、関東でいうトコロの首都高に相当しますね。ループ状のこの走りのステージは、夜な夜なチューンドマシンたちによる熱きバトルが繰り広げられていました。今現在も大阪環状族は存在しますが、規模としては圧倒的に80年代当時のほうが盛り上がりは凄かったようです。あまりの過熱さにさすがの大阪県Kもお怒りになっていた、みたい。そんな当時のドキュメント・ルポをドーゾ!
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大阪府警 VS. 大阪環状改造族
Photoドキュメント・ルポ 1982年夏 カメラは証言する
大阪環状は、1周10.4kmのONE WAYループ。メインコースは4車線ある。
大阪、いわずと知れたチューンドカーのメッカである。走り屋も多い。が、最近、大阪府警の強烈な締めつけに危機感を訴える声が強いのだ。果たして、その実情は? また、当の大阪府警本部の見解はいかなるものなのか。1982年7月31日土曜深夜、我々はマシンが集うという大阪環状に、クルマを乗り入れた。
土曜の夜の大阪環状、それは我が眼を疑うフィーバー・ゾーンだった
「大阪の暴走族や環状族の実態を、東京へ行って説明してもなかなか分かってもらえんもんで、苦労しますわ」…大阪府警本部関係者のコメントである。正直言って、我々取材スタッフも眼前に展開される大阪環状の実態と、自分たちの抱いていたイメージとの落差にガクゼンとしたことをまず断っておこう。
「関西の走り屋は、お祭り派なんですよ」とは聞いていた。が、これほどとは。ストイックな思い入れで走りを追求し、腕を研こうというストリートレーサーがカッ飛んでいく…という空想的シーンは、跡形もなく打ち崩されたのだ。
シャコタンで渋滞、パトカーの無差別検挙、相次ぐ事故!
午前1時の環状は大渋滞だった。しかも周囲のどのクルマも車高が低い。中にはハデなオーバーフェンダーやリヤウイング装着車(※当時リヤウイングは珍しかったのです)。関東でいうところの族仕様車に近い。しかし、こういったクルマが、ただ集まって走っているだけならさほど驚きはしない。が、1周する間に数ヵ所でぶつかっているクルマを目撃し、次の周にはさらに新たな事故現場を目撃するとなると、ちょっと穏やかではない。
もちろん、渋滞でまともに走れる状態ではないから、事故といっても接触や追突がほとんどなのだが。「いったい、どうなっているんだ?」「いやぁ、初心者が混ざっとるからネ〜」、そのおおらかさは、まさにカーニバル。お祭り騒ぎだ。
対する大阪府警は、走り屋のあまりの数の多さに手をこまねいて眺めているだけかと思うと、これが大違い。片っ端から取り締まっているのだ。1周の間に、事故処理1ヵ所を含む4ヵ所で、それぞれ御用になっている。
のろのろ運転の次の周には、これまたもう別のクルマが・・・。次から次へとパトカーはフル稼働だ。「違反の種類といっても・・・。駐車違反、初心者マーク、整備不良、安全運転義務違反、まぁいろいろですネ」・・・府警。しかし、環状族は、仲間がごぼう抜きに検挙されようと、事故ろうと、一切お構い無しに渋滞のループを楽しんでいるかのようだ。「ひとりで走る? そんなんアホや、どこがおもろいんや。ホラ見てみい。あんたかて一緒にいるだけで、なんとなくウキウキしてくるやろ」・・・族の証言。