大阪府Kに聞きました! 80年代・大阪環状24時間ドキュメント【OPTION1982年10月号】

「もう、イタチゴッコは終わりや、8月末の新聞、楽しみにしてや」

「今、いわゆる走り屋=環状族は1500台くらいいますわ。中には根っからの走り屋もおるわけですが、若さゆえ他人の迷惑を考えないでワイワイやっとる連中も多いんですわ。ですから我々は環状族の場合、交通犯罪としてではなく、広い意味での青少年非行対策の一環として考えておるんですわ」(府警)

そして、すでに環状族対策は最後のツメに入ったことは間違いないようだ。「ともあれ、もうほとんど環状族は把握しております」との、自信溢れるコメントが、その事実を物語る。取材当夜も、照明・撮影用採証車が道路をサーチライトで強烈に照射し、走行車両のリヤを、夜目にも鮮やかに浮かび上がらせていた。ナンバープレートを軒並み撮影しているのである。さらに、覆面パトカーに乗り込んだ私服警官が、これまた「らしいクルマ」をチェックし、撮影を進めている。

そして午前3時にかかろうとするころ、数100台はいた環状族のマシンが、みるみる減ってきた。理由は・・・考えるまでもなかった。ループのキーポイントともいうべき分岐点に、例の照明・撮影車が陣取り、その場でビシビシ取り締まり始めたからだ。ちょっと目立つ改造車は、容赦なく止められている。

走り屋のほうも、数をたのんで検問をブッ千切るという暴挙には出ない。それをやれば共同危険行為が成立するということを、走り屋も知っているようだ。これをくらえば一発で免許がなくなる。もちろん、それだけでは済まない。環状族が締め出され、パトカーが帰路につく。

すると再び、どこからともなく走り屋が集まってくるというのが、ひとつのパターンだといわれていた。が、この日はいつまでたっても、パトカーは環状から消え去りはしなかった。午前5時、空が白み切り、折から降り出した雨の中で、それでも1周する間に3ヵ所でパトカーが違反車を検挙していた。

「すでにウチのほうでは、環状族の実態を完全につかんでおります。クルマの持ち主も、追跡調査で全部おさえてあるんですね。まぁ、このままイタチゴッコ繰り返しておるわけにもいかんですからね。ひとつ、8月末の新聞、楽しみにしてくれまへんか」府警本部、交通指導課の係官は最後をこう強烈に締めくくった。もちろん、環状族=改造車ではない。が、両者が深く結び付いていることも事実だ。

とりわけ、取り締まりサイドでは。「業者まで捕まえんことには、不法改造はなくならん」との容易ならざる声が聞かれたのも事実だ。暴走族はもとより、南港や臨海でのゼロヨンを完全に押さえきった実績を誇る大阪府警である。しかしその時、環状線を締め出された走り屋たちは、いったいどこへ向かうのだろうか・・・。

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東名最高速、首都高タイムアタックとは、また違った色を見せる大阪環状。まぁ普通の方から見れば走り屋=暴走族・・・ですが、大阪府警もソコは違いを分かっていただけていたことは嬉しいですね!?

【OPTION 1982年10号より】

(Play Back The OPTION by 永光やすの)

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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