2017日本自動車殿堂「殿堂入り」は宮川秀之氏、高島鎮雄氏、鈴木孝幸氏、木村治夫氏の4名に決定

日本における自動車産業・学術・文化などの発展に寄与し、豊かな自動車社会の構築に貢献した人々の偉業を讃え、殿堂入りとして顕彰し、永く後世に伝承してゆくことを主な活動とする特定非営利活動法人「日本自動車殿堂=JapanAutomotiveHallofFame、略称JAHFA(ジャファ)」は、2017年の殿堂者(殿堂入り)、歴史遺産車、イヤー賞を発表しました。

2017日本自動車殿堂 殿堂者(殿堂入り)は、以下の4名。受賞理由も紹介します。

宮川秀之氏  カロッツェリアを日本に紹介 自動車デザインを飛躍させた功労者

宮川秀之氏は、モーターサイクルで世界一周の折、イタリアン・デザインに魅了され、イタルデザイン設立に参画、日本車の先導的デザインへの架け橋として活躍し、自動車文化に多大なる貢献をされました。その偉業をたたえ永く伝承して参ります。

高島鎮雄氏  日本の自動車文化の発展に貢献 自動車史考証を先導

高島鎮雄氏は、自動車雑誌編集、そして世界の名車の歴史本の執筆により、若い世代に自動車の楽しさを伝え、若者が自動車エンジニアやデザイナーを目指す、良き動機付けに繋げ多大なる貢献をされました。その偉業をたたえ永く伝承して参ります。

鈴木 孝幸 氏  ディーゼルエンジンの先進技術とハイブリッド技術を開拓

鈴木孝幸氏は、日野自動車のディーゼルエンジンの、排出ガスのクリーン化 燃費向上、信頼性・耐久性向上技術を開発すると共に、世界初のディーゼル・電気ハイブリッドバスの実用化など、自動車の産業の発展に多大なる貢献をされました。その偉業をたたえ永く伝承して参ります。

木村治夫氏  忠実なる真のレストアを貫き日本のレストア活動を牽引

木村治夫氏は、社会と共に歩んで来た自動車の、史実に基づく忠実なレストアを貫き、日本のレストア活動を牽引し、後世への自動車文化の伝承に、多大なる貢献をされました。その偉業をたたえ永く伝承して参ります。

2017日本自動車殿堂 歴史遺産車は以下の4台。

ダイハツ ツバサ号三輪トラック (1932年)

ダイハツは1931年当初から、エンジンを国産化し、車体も量産性のあるものとして、三輪自動車工業の近代化をリードした。1932 年に発売されたツバサ号は、プロペラシャフトと差動装置による駆動方式を初採用しコーナリング時の運転性を著しく改善した、歴史に残る名車である。

トヨタ ランドクルーザー40系 (1960年)

トヨタ ランドクルーザー40系はクロスカントリータイプ4WD車として、1960年に発売され、堅牢なシャシー、大排気量エンジンにより、すぐれたオフロード性能と信頼性・耐久性を発揮。先代をリファインした実用本位のスタイルのまま、機能面の改良を重ねて24年間生産され、世界中で愛用された歴史に残る名車である。

プリンス スカイラインGT (1964年)

プリンス スカイラインGTはレース出場資格を得るべく、1964年に限定生産・販売された高性能セダン。スカイラインのフロントボディを延長してグロリアの6気筒エンジンを搭載、レースで健闘して人気をさらい、翌年 スカイライン2000GTとして量産化、その後の国産高性能セダンのパイオニアとなった、歴史に残る名車である。

スバル1000 (1966年)

スバル1000は水平対向エンジンを搭載した、合理的設計のFF小型乗用車として1966年に発売され、FFによる空間効率の高さを証明。4輪独立懸架 インボード式フロントブレーキ、デュアルラジエーターによる3段階式冷却システムなど、多くのすぐれた技術も採用した、歴史に残る名車である。

また、2017〜2018日本自動車殿堂イヤー賞は以下の4台。

2017〜2018日本自動車殿堂カーオブザイヤー(国産乗用車)
「ホンダ N-BOX」および開発グループ

2017〜2018日本自動車殿堂インポートカーオブザイヤー(輸入乗用車)
「ボルボ S90/V90/V90 Cross Country」およびインポーター

2017〜2018日本自動車殿堂カーデザインオブザイヤー(国産・輸入乗用車)
「LEXUS LC500」およびデザイングループ

2017〜2018日本自動車殿堂カーテクノロジーオブザイヤー(国産・輸入乗用車)
「日産 リーフ 搭載技術」および開発グループ

自動車が主役になりがちな自動車業界において、自動車への功労者を讃えることは、今後の日本の自動車文化を育てていくことに繋がっていくと思われます。受賞者のみなさん、おめでとうございます。

(clicccar編集長 小林 和久)

この記事の著者

小林和久 近影

小林和久

子供の頃から自動車に興味を持ち、それを作る側になりたくて工学部に進み、某自動車部品メーカへの就職を決めかけていたのに広い視野で車が見られなくなりそうだと思い辞退。他業界へ就職するも、働き出すと出身学部や理系や文系など関係ないと思い、出版社である三栄書房へ。
その後、硬め柔らかめ色々な自動車雑誌を(たらい回しに?)経たおかげで、広く(浅く?)車の知識が身に付くことに。2010年12月のクリッカー「創刊」より編集長を務めた。大きい、小さい、速い、遅いなど極端な車がホントは好き。
続きを見る
閉じる