「谷田部で最高速に挑戦」の意味とは? ポルシェ、トランザム、コルベット……外車軍団も筑波おろしに泣いた日【OPTION1983年2月号・その4】

1982年年末に行われた最高速大計測会。もちろん、ステージは日本自動車研究所の高速試験路、通称:谷田部です(今は無き)。

よく「谷田部で最高速」「谷田部に挑戦」と言っていますが、では、その谷田部とはどんなものだったのか・・・? そんなとこから、今回は見ていきましょう。そして、今回の【その4】で紹介する懐かしマシンは、Z、コルベット、ポルシェ、トランザムとワールドワイドです!

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谷田部にあるテストコースは、1周5.5kmのオーバルコース。南と北にハイバンクがある。最大傾斜角45度で、設計速度はイエローラインで180km/h、最上段で220km/hまで可能だ。したがって、220km/h以下ならハンドルから手を離しても、直線のように走ってくれる。

しかし、250km/h以上のバンク走行になると、飛び出しそうになるマシンを押さえなければならない。それより難しいのは、バンクの進入と脱出時だ。路面がフラットからバンク角へと変わるので、マシンがアウトへ出そうになる。この一瞬のコントロールを間違えると、オダブツ。バンク内は2G以上の重力がかかるので、サスペンションのセッティングひとつで、スピード限界点が変わる。固すぎるとハネてしまうし、柔らかくてもふらついてしまう。直線はアクセルを踏むだけだが、直進性の悪いクルマがほとんどなので、風が無くても左右に振られて恐い。

クルマに異常さえなければ、誰でも250km/hは出せるはずだ。が、それ以上は別世界で、直線から一瞬の間にバンクが迫り、すり鉢の底のように見えるバンクに落下するという感じだ。もし、タイヤでもバーストしたら、レーサーでもコントロールするのは難しい。280km/hレベルになると、ピレリP7などのVR規格でも保証できないのだ。だからこそ、谷田部テストでは、わずかでも異音が発生したらスピードダウンするほどの神経を使う。

テスト終了後は、「ああ、今日も命があったな」と思う・・・これが谷田部の最高速テストだ!
レースレスキューの苦労を実感!

「もし、テスト車が横転、火災が発生し、しかもドライバーが車内に閉じ込められていたらどう対処するか。とにかく様々なケースを想定し、対応を頭の中で反復していました」と語るのは、エマージェンシーカーのステアリングを握るレーサー:小宮延男だ。クルマは市販車最速を誇るコスモREターボ。

助手席には2基の大型消火器もセット。幸いにも緊急出動はかからなかったが、ホーッと緊張感が抜けたのは、テスト終了後しばらく経ってからだとか。「安全装備で4時間待機するって、サーキットを走るよりタイヘンみたい。レースレスキューの人たちの苦労がよーく分かりましたよ」。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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