【富士重からSUBARUへ】いまのスバルにつながる1980年代の英断、そして「レガシィ」が生まれた

2016年の世界販売で、ついにスバルは100万台を突破しました。それだけ「SUBARU」というブランドは認知され、支持されているといえます。

とはいえ、スバルのクルマは順調に伸びてきたとは言い切れません。水平対向エンジンや四輪駆動というメカニズムを搭載した乗用車「レオーネ」によって『スバリスト』と呼ばれる熱心なファンを生み出してきましたが、現在のようなプレミアムなブランドイメージはなかったのです。

レガシィ・シリーズをフラッグシップに、レヴォーグ、WRX、インプレッサなどなど……様々なモデルをラインナップする現在のスバルから見ると信じられないかもしれませんが、1980年代以前のスバル車は、国内でも存在感はいまいちだったのです。

当時のラインナップは、レオーネ、ジャスティ、レックス(軽乗用車)といったところ。もちろんSUV的なモデルなどありません、スペシャリティクーペとしてアルシオーネが登場したのは1985年のことでした。

しかし、その頃から現代のスバルにつながるプランは温められていたのです。水平対向エンジンを積むセダンとステーションワゴンである「レオーネ」がカバーしているゾーンを2つに分けることが検討され、エンジンとプラットフォームのいずれも完全新設計とするモデルの開発が進んでいました。

そうして1989年に誕生したのが初代レガシィです。さらに、レガシィが上級シフトしたことにより空いてしまったゾーンには、インプレッサ(1992年)を設定することでカバーしたのです。いずれもセダンとワゴンをラインナップしていたのは、レオーネからの伝統を感じさせるものでした。

この記事の著者

山本晋也 近影

山本晋也

日産スカイラインGT-Rやホンダ・ドリームCB750FOURと同じ年に誕生。20世紀に自動車メディア界に飛び込み、2010年代後半からは自動車コラムニストとして活動しています。モビリティの未来に興味津々ですが、昔から「歴史は繰り返す」というように過去と未来をつなぐ視点から自動車業界を俯瞰的に見ることを意識しています。
個人ブログ『クルマのミライ NEWS』でも情報発信中。2019年に大型二輪免許を取得、リターンライダーとして二輪の魅力を再発見している日々です。
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