【富士重からSUBARUへ】いまのスバルにつながる1980年代の英断、そして「レガシィ」が生まれた

初代レガシィのデビュー時に話題を集めたのは、新開発の水平対向2.0リッターDOHCターボエンジンでした。

その型式は「EJ20」、現在もWRX STIの心臓部として熟成を重ねている名機です。そのパフォーマンスをアピールすべく、10万km連続走行の世界速度記録を樹立したことはスバリストにはよく知られています。

それまで走りにおいてライバルに差をつけられているという印象もあったスバルが、ライバルをリードする性能を得たことが初代レガシィでの大いなるインパクトでした。そのハイパフォーマンスは弟分であるインプレッサにも共通していました。

その後、アウトバック、フォレスター、XVといったSUVラインナップによって現在のブランド価値を生み出すことになるわけですが、クルマづくりという自動車メーカーの根幹といえる部分において大きくステップアップする原動力となったのが1989年に誕生したレガシィと、それを支えたメカニズムであることは間違いありません。

だからこそ、レガシィとインプレッサを生み出そうと決定した1980年代の経営判断はスバルの歴史において無視できない重要な出来事だったといえるのです。

(山本晋也)

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この記事の著者

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山本晋也

日産スカイラインGT-Rやホンダ・ドリームCB750FOURと同じ年に誕生。20世紀に自動車メディア界に飛び込み、2010年代後半からは自動車コラムニストとして活動しています。モビリティの未来に興味津々ですが、昔から「歴史は繰り返す」というように過去と未来をつなぐ視点から自動車業界を俯瞰的に見ることを意識しています。
個人ブログ『クルマのミライ NEWS』でも情報発信中。2019年に大型二輪免許を取得、リターンライダーとして二輪の魅力を再発見している日々です。
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