【AMCホーネット『黄金の銃を持つ男』】
ロジャー・ムアーは「ライトウエイト・ボンド」で、好きではありませんが、『黄金の銃を持つ男』(1974)のカーアクションには、私の旧友が助力しました。ボンドがバンコックのAMC(アメリカ・ビッグスリーの次4位メーカー)ディーラーから新車ホーネット・クーペを失敬し、爆走します。壊れ落下している橋に差し掛ったボンドはアプローチスロープで加速、川の上でひとひねり、つまり車底を上にして飛び、ふたたび普通の姿勢に戻して対岸に着陸します。これはCGではなく、スタントドライバーによる実走行でした。
「スパイラル・ジャンプ」技術を考案、シミュレート、実験、実行したのがアメリカ・ニューヨーク州バファローのコーネル大学航空研究所スタッフで、所長が旧友、故ビル・ミリケンでした。自動車の動的性格の非常に真面目な研究が発端で、彼の部下秀才のコンピューター解析モデルからはじまり、シミュレーション、有線コントロール実車実験を経て、スタンドドライバーによる有人デモンスレーションとなりました。運転実証の場がなんと自動車スタントの“スリルショー”、テキサス州アストロドームでした。名スタントドライバーが運転したのですが、うまく離陸速度に乗れず6回中止。観客からブーイングが起きました。ビル・ミリケンを始めとする技術スタッフのアドバイズで、ついに成功。大歓声が起きたそうです。
ボンド・ホーネットは、アプローチ、離陸速度の精度アップ制御以外は、なんの変哲もないクルマでした。
ミリケンは航空エンジニアで、戦前のパンアム・クリッパー飛行艇、戦時中のボーイングB-17爆撃機の飛行実証、戦後はカーティス・ライト航空研究所/コーネル大学研究所長を経て、自動車動的解析の権威となります。
彼自身も少年期から自製自動車、そして高校期に自設計、製作の小型飛行機で飛行成功、ところが着陸で転覆した猛者。戦後のアメリカ・スポーツカー・レーシングの草分け存在で、ニューヨークのワトキンスグレン公道コースから特設GPコースまで役員を務めました。
ブガッティT35を入手しますが、パイクスピーク・ヒルクライム出場規則合致のためにフレームを切断、引き延ばしました。T54のギアボックスが壊れ修理不可能と知ると、GMのATを積む荒技。神聖ブガッティ信者でしたら失神するでしょうね。
自らのレーシングカーも製作しますが、これは最大22度の大ネガキャンバーのスラストでとてつもない横Gを出します。90歳、97歳でグッドウッド・ヒルクライムに出ています。
(山口 京一[F2P#23])