電機業界で、一部日本を追い越したともいわれる韓国。自動車産業においても、その勢いは頻繁に報道されています。
2007年のアジア通貨危機以来、韓国では財閥解体や自動車メーカーの統合などが行われ、例えばキアはヒュンダイに、デーウはGM韓国となっています。
そのような背景のもと、自動車部品メーカーにも変化が訪れていたようです。
マフラーメーカーのピコサウンド社は、代表のキム ジュンス氏が2005年に創業したまだ新しい会社です。
他の事業で成功し、彼が当時乗っていたランボルギーニのエキゾーストサウンドに納得いかなかったことから始まります。
普通、余裕のある人であれば、ショップやメーカーを探して、気に入る音を出すマフラーに巡り会うまで取り替えるか、特定のメーカーで何度も作り直させるかのどちらかでしょう。しかし彼は、そのランボルギーニのマフラーを外し、中をチェックしてみて「これなら自分でもできる」と確信しました。
そこから試行錯誤を繰り返し、自分の気に入ったサウンドになるまでチューニングし、完成させます。そして、その音と映像を動画投稿サイトYOUTUBEにアップしました。
それを見た同じランボルギーニオーナーから、「自分のも作って欲しい」という連絡が来ます。そのオーナーに作ってあげると、彼のスーパーカー友達にくちコミで広まり、アウディR8、フェラーリ、アストンマーチンなどのマフラーを作成します。
そうして、スーパーカーや高級車をはじめ、スポーツカーや大衆車のマフラーも手掛けることとなり、アフターマーケットのマフラーメーカーとしては、韓国のトップブランドに育ちます。
わずか数年で、業界のトップになったことになります。
そのピコサウンドマフラーの特徴は音圧切り替え式であること。
バルブの作動により、ファミリーモードと呼ぶ静かモードでは、ノーマル状態にプラスしたサウンドですが、スポーツモードでは、アフターマフラーらしいサウンドを響かせています。
アフターの世界と同時に、サーキットの世界も目指します。ピコブランドとは別にスクラ(Sucura)ブランドを立ち上げます。
日本のスーパーGTに匹敵する韓国のGTレースや、ヒュンダイ・ジェネシスクーペ(FRスポーツ)のワンメイクレースへ参戦します。
ところが、ジェネシスのワンメイクレースでは、スクラ装着車がパワー、トルクとも他社マフラー装着車より勝り、スクラ装着車がとても有利になってしまいます。それで、今ではジェネシスのワンメイクレースはマフラーもワンメイク、スクラを装着してイコールコンディションで競うのを前提としたレギュレーションになったほどだそうです。
さらに、これほどの実力を見たメーカーも動きます。自動車メーカーのカタログに載る純正スポーツマフラーとして取り扱いが始まり、今ではヒュンダイのノーマル純正マフラーまで納品するに至り、他社からは開発車両への設計依頼も受注しています。純正品なので、製品によっては5年10万マイルといった保証もクリアしています。
純正品の取扱量などは秘匿義務で明らかにしてもらえませんが、アフターのマフラーは月間500本程度を生産しているそうです。フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、アストンマーチン、アウディなどのラインナップなどを筆頭にして、その30%は欧米や東南アジアに輸出しているそうです。
そうして、サウンド、パワー/トルク、品質面でも自信をつけ、次に目指しているのは日本マーケットだといいます。
なぜ、日本市場なのか? 日本のアフターマーケット、特にマフラーは騒音規制などの問題や、既に成熟したマーケットが新規参入には難関となり、市場としては「おいしい」とは言えないはずです。
キム ジュンス氏によると「韓国ではまだまだチューニングの文化が育っているとは言えません。マフラーを交換すると言っても見た目や大きな音がすればいいという需要がメインです。その点、日本のマーケットは、チューニングに対するレベルの高さがあると思います。そのため、マフラーへも性能や品質を重視した需要があります。そういう厳しいけれどもクリアしたい市場に、ピコサウンドでチャレンジしたいと思っています。日本で成功すればきっとピコのブランドも高まりますし、絶対成功する自信もあります」とのこと。
しかも、日本への進出は、製品輸出というカタチでなく、工場を立ち上げ現地(日本)で生産したいといいます。その理由は「日本で必要とされるものを従業員と一緒に肌で感じながら作っていきたい。みんな日本で生活することも希望しています」。
円高の影響、マーケットの縮小など、日本を離れていく製造業が後を絶たない中、日本で製造したいという海外企業もあるのです。その背景には、日本で成功したという実績が、世界で通用するブランドになるというキム ジュンス氏の目論みもあるに違いありません。
これまで日本が育て上げてきた製品に対する消費者の厳しい目と、それに答えてきたメーカーの姿勢があり、そこが日本ブランドの信用になってきたのに相違ありません。
「日本での成功が世界で通用するブランドになる」ということは、日本に住んでいるだけでは意外に気付かない部分かもしれません。日本の消費者の厳しい目を保ち続けるのも日本を支えるひとつだと、教えてもらった気がしました。
(小林和久)