1992年9月にランエボこと三菱ランサーエボリューションが誕生してから今年で20年になります。この20年の間にランエボはXまで進化しましたが、同時にランエボの持つ役割もWRCベース車からロードスポーツカーへと変化してきました。そんなランエボの20年の奇蹟を様々な角度から考察してみたいと思います。
ランサーエボリューション開発の目的は非常に明快で「WRCで勝利を収めるためのベース車」というものした。当時のWRC=世界ラリー選手権のトップカテゴリーはグループAで、4座席以上の市販乗用車がベース。そして連続した12ヵ月間に5000台(1993年以降は2500台)以上製造しないとベース車として公認(ホモロゲーション)を取得することができませんでした。そのためグループAは量産ツーリングカーと分類されています。
当時のWRCで勝つためには2リッター4WDターボ車が必須条件となっていて、三菱もギャランVR-4を1987年12月に発売し、1988年からWRCに参戦していました。しかしVR-4のセミトレーリングアーム式リヤサスペンションはWRCの現場では整備性が悪いということで、VR-4の後継となるWRCベース車には、1991年発売のCD系ランサーが選ばれました。
そしてランサーのボディにVR-4のエンジンを搭載したランサーGSRエボリューション、RSエボリューション(CD9A)が誕生。1993年シーズンの製造義務台数である2500台を10月に限定発売しました。
なおランエボⅠ〜Ⅴまでは標準グレードがランサーGSRエボリューション、モータースポーツベースグレードがランサーRSエボリューションとなっていましたが、Ⅵ以降はランサーエボリューションGSR、RSとカタログ表記が変わっていますが、ここでは現在の呼び方に統一します。
ランエボのエンジンはギャランVR-4に搭載されていた2リッターDOHCインタークーラーターボ4G63をランエボ用に徹底的にリファイン。ナトリウム封入排気バルブや大容量インタークーラーを採用して最高出力250ps/6000rpm、最大トルク31.5kgf・m/3000rpmにパワーアップさせました。
インタークーラーの冷却効率を高めるために前端に配置したほか水を噴射させるインタークーラーウォータースプレーを装備。また空冷式オイルクーラーも助手席側前端に配置しています。
4WDシステムは前後トルク配分50:50のビスカスカップリング(VCU)付センターデフ方式フルタイム4WD。リヤにはVCU式LSDをGSR、機械式LSDをRSに搭載していました。つまりランエボⅠはグレードによって装備しているLSDが違っていたのです。またフロントVCU式LSDはメーカーオプションでした。トランスミッションは5MTですが2速にダブルコーンシンクロを採用しました。
サスペンションはベースのランサー同様フロントがマクファーソンストラット式、リヤがマルチリンク式を採用していますが、ステアリング剛性を向上させるためにリヤサスペンションのアッパーアーム、ロアアーム、コントロールリンクのブッシュをピロボールとしました。
フロントトレッド1450mm、リヤトレッド1460mm、ホイールベース2500mmで、タイヤは195/55R15を装着しています。
全長4270mm×全幅1690 mm×全高1395mmのボディは、ベースのランサーよりもねじれ剛性を20%アップ。またエアアウトレット付のアルミボンネットを採用して5kgの軽量化を果たしました。フロントバンパーはインタークーラーやオイルクーラーに充分に冷却風を取り入れるため開口部を極力広げました。また大型リヤスポイラーも装備。
ランエボⅠは発売からわずか2日で完売し、後に増産される程でした。
そしてWRCには1993年シーズンの開幕戦モンテカルロから参戦。デビュー戦を4位入賞でかざり、アクロポリスラリーでは3位に入っています。
しかし市販車としてのランエボⅠのハンドリングの評判は良くありませんでした。ランエボⅠはコーナー進入時のアンダーステアが強いのですが、ある一定の領域からは急にリバースステアに転じるという、扱いにくい特性が表面化。同時期にデビューしたスバル・インプレッサのフットワークが好評だったため「パワーのランエボ、足のインプ」と評価されました。そのため、特に国内モータースポーツ参加者からランエボの改良を求める声が高まりました。こうしてランエボのあくなき進化が始まります。
(ぬまっち)