アメリカ西海岸時間の2011年10月5日、日本ではすでに6日となっていた時間にスティーブ・ジョブスの訃報が流れます。享年56歳。
彼はアップルコンピュータの創設者の一人として知られていますが、彼の足跡をたどると、その業績は様々な制約から人々を解放するために尽力したと言えるのではないでしょうか。
そもそも彼が何故、実家のガレージでパーソナルコンピューターの元祖といわれる「Apple Ⅰ」を1975年に作り上げ、それに続く「Apple Ⅱ」を1976年に成功に導いたのか。それは当時、ごく限られた環境でなければ使うことを許されなかったコンピュータを一般の人々に解放したいという一念からに他なりません。
彼の青年期はいわゆるヒッピー世代。ベトナム戦争の反対運動などが盛んな時期に青春を迎え、とかく反体制や哲学的思想の中に身を置き、情報の解放の重要性にいち早く気がついていたと思われます。だからこそパーソナルコンピュータというものを作ろうと考えたのでしょう。
マウスを使ったコンピュータのユーザーインターフェースを最初に市販したのもアップルでした。着想自体はゼロックスが研究していたのですが、ゼロックスのパロアルト研究所でその研究用モデルを見た際に驚愕し、これをMacintoshの原型といわれるLisaに搭載します。
Lisa発表当時、コンピュータのインターフェースはキーボードでコマンドを打ち込んでプログラムを実行するものでした。しかし、Lisaや後に続くMacintosh(いわゆるMac)はマウスでクリックするだけで大半の操作が出来てしまうグラフィックユーザーインターフェース(GUI)を実現しました。つまり使い勝手を解放したのです。
実際にMacintoshが発売された1984年にはIBM PCやNEC PC9801ではマイクロソフトのMS-DOSというコマンドベースのOSが主流。まともに使える最初のWindowsであった3.1の登場は、日本では1993年まで待たなくてはならなかったのです。
コンピュータを一般に開放し、GUIによってコンピュータの複雑な操作方法からユーザーを解放したジョブスは、しかし独善的な仕事ぶりでアップルを追い出されてしまいます。そこでジョブスはNeXTという新しい概念のコンピュータを模索し、製品化するのですが機械があまりにも高価なためにコンピュータとしては挫折。しかしOSとしてのNeXTSTEPはかなり優秀であったとされ、世界初のWEBサーバーとして活用されることにもなります。
アップルを追い出された時期にもう一つ始めた事業としては、コンピュータグラフィックの映画製作会社「ピクサー」があります。これはジュラシックパークのCGを皮切りにディズニーのトイ・ストーリー、そして今年も話題のカーズなど実に多くの作品を手がける会社として成長しました。これも、映画の制約を解放したといえる偉業です。
1997年にアップルの最高経営責任者として復帰した後は皆さんもご存知の通り、i-Macやi-phoneなど時代を先取りした製品を次々と発表し2011年にはIT企業として世界一の資産を誇る会社にまで成長させました。
ジョブスがアップルに復帰した後のアップル製品も制約からの解放という面ではかなり明確にメッセージを打ち出しています。i-podやi-pad、Macbook Airなどはその際たるものではないでしょうか。
経営者としては賛否両論あるとは思いますが、コンセプターとしての彼のメッセージは誠に明確であり、それが人々の心を打つがために信者の様なユーザーが多いのだろうと思います。共感を呼ぶ商品ということでしょうか。
(北森涼介)