4ローター実験車ボディタイプの他の候補は、GT型クーペでした。松井部長、前田又三郎チーフデザイナー(のちにデザイン部長)麾下のデザイナー、モデラーは両タイプの1/5粘土モデルを製作しました。
クーペのデザインは、非常に興味があります。マツダの企画者、デザイナーは、欧米のデザイントレンドに敏感で、良い、魅力的な特徴を進んで取り入れていました。
R16Aは、あるものを最大限に活用したといいます。その中に研究用に所有していたランチア・フラヴィアの4速トランスミッションがありました。
フラヴィアは水冷OHV水平対向4気筒をフロントオーバーハングに搭載した前輪駆動車でした。エンジン-最終駆動-トランスミッションのレイアウトです。
マツダは、欧米デザイントレンドに先取的でした。初代ファミリアは、当時、一世を風靡したと言われるシボレー・コーヴェアの解釈の一例でしょう(他はNSU、フィアットなど)。ご存知のように初代ルーチェに至るコンセプトデザインは、ベルトーネに委託したものです。
R16Aは、ランチア・フラヴィアから MTを拝借しましたが、どうもザガートらしいのです。ザガートは、ルーフに切れあがったクオーターウインドウとネガ面リアウインドウが特徴でした。後者は、浅いバットレス(建築の控え壁)風でした。
R16Aのクオーターウインドウは、より大きくルーフに切れ込んでいます。また、リアウインドウは、深いバットレスに埋め込まれています。バットレスの空力効果を遺憾なく実証したのが1964ポルシェ904 GTS、その後もフェラーリのディーノ(“の“は、フェラーリのサブフランドを意図していました)、そしてブリストル航空出身のマルコム・セイヤー・デザインのジャガーXJSに採用されました。
さて、広島レイアウト企画の絹谷チームは、多くの将来スポーツカーのレイアウト図を描いています。原図をマイクロフィッシェなる16mm映画コマサイズに残したものがありましたが、そこからプリントした写真ですので、鮮明度はよくありません(図面保管が目的で、専用拡大リーダー機で見ます)。
その1枚は、『COSMO MC』と記されています。次世代はミドシップを構想したのでしょうか。2ローターをミドシップに積んでいます。
もう1枚、興味のあるのがオープンホイール単座レーシングカーで、これは3ロ—ターを描いています。60年代半ばのF2、F3は1リッター規則でした。F1は66年に3Lとなります。F2の1.5Lへの移行を希望したのと説もあります。あアメリカでは、12Aを搭載したワンメーク・フォーミュラがありました。
カリフォルニアのジム・ラッセル・ドライビングスクールで乗ったことがあります。
(山口京一)