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■受注を始めたホンダジェットをドバイで公開することを発表
ホンダの航空機事業子会社であるホンダ・エアクラフトカンパニーは、2016年12月6日~8日にアラブ首長国連邦のドバイで開催されるビジネス航空ショーで、小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」を展示することを、同年11月23日に発表しました。
●ホンダの航空機事業参入は、本田宗一郎氏の夢だった
ホンダの航空機の歴史は、本田宗一郎氏の幼少期の夢から始まりました。今から100年以上も前の1917(大正6)年、当時10歳だった本田少年は、静岡県浜松市で開催されたアクロバット飛行ショーを見て大きな衝撃を受け、そして大きな夢を抱きました。
本田宗一郎氏は、1946年に本田技研研究所を設立し、まず二輪で成功を収め、続いて4輪事業に参入して成功を収めます。
当初から航空機事業への参入を夢見ていましたが、夢の第一歩は1962年に開催された通産省および運輸省が後援し、ホンダが協賛した軽飛行機の設計コンテストです。このコンテストには、後にホンダの社長となる東大在学中の吉野浩行氏が応募するなど、優秀な航空機技術者がホンダに入社するキッカケとなりました。
具体的な動きは、1986年設立の和光基礎研究センターで、航空機事業への参入に向けて小型飛行機とジェットエンジンの開発に着手したことに始まります。当時のチームには、入社3年目の現ホンダ・エアクラフトカンパニー社長の藤野道格氏も在籍していましたが、実際の航空機開発経験者がひとりもいないという体制でのスタートでした。
そのわずか6年後の1992年には、世界初の全炭素複合材ビジネスジェットの実験機「MH02」が完成し、翌1993年3月5日についに初飛行に成功したのです。
●10年の苦難を乗り越え量産型ホンダジェットが出荷開始
実験飛行の成功を受け、2003年に本格的な量産型ホンダジェットが完成、ホンダが独自開発したジェットエンジン「HF118」を搭載し、同年12月に初飛行に成功しました。
しかし、実際にユーザーへ出荷するためには、米連邦航空局および欧州航空安全局「型式認証」の取得が必要。2012年にも出荷を計画していましたが、量産機の開発遅れや厳しい型式認証を取得できずに、当初の計画から大幅に遅れる事態となったのです。
約10年の苦難の時を乗り越え、改良を重ねてやっと型式認証を取得できたのは、2015年12月でした。量産型4号機がベースとなったホンダジェットが、ノースカロライナ州上空高度3500mの上空を飛行速度580km/hで74分間飛行し、その性能や快適性、信頼性がユーザーの要求に十分対応できるレベルであることが実証されたのです。
認証を取得したホンダジェットは、ベース価格490万ドル(1ドル117円として、日本円で5.7億円)で、欧米やアジア、中国、インドなどで2015年末から出荷を開始しました。
●独自技術による優れた性能で5年連続小型ジェット機トップの出荷
ホンダジェットは、主翼上面のエンジン搭載や自然層流型、一体成型型複合胴体などホンダの独自開発技術の採用によって、クラス最高水準の性能と室内空間を実現。
特に注目されたのは、従来の小型ジェットの常識を打破した主翼の上にエンジンを搭載した独自のレイアウトです。これにより、大きな室内空間と荷室容積を確保し、空気抵抗を減らして性能アップにつなげたのです。
2017年の出荷台数は43機で、小型ビジネスジェットカテゴリーの出荷数でトップとなり、その後も2021年まで5年連続トップの座を獲得しました。残念ながら、2022年はトップの座を譲りましたが、2022年2月時点で世界中で約200機以上が運用されており、相変わらずの人気を維持しています。
オートバイから自動車、そして一気に空を飛び回る航空機まで手掛けるホンダのチャレンジスピリット、そのDNAを作った本田宗一郎氏は、幼い頃に抱いた夢の飛行機が飛ぶ2年前の1991年にこの世を去りました。さぞかし飛ぶ姿を見たかったことでしょう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)