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■関門トンネルの交通量を緩和するため関門橋を建造
1973(昭和48)年11月14日、当時東洋一の吊り橋「関門橋」が開通しました。
本州と九州との間にある関門海峡の下関市壇之浦と北九州市門司区門司に架けられた自動車専用橋で、交通のスムーズ化に加えて素晴らしい景観でも有名です。
●関門海峡には橋だけでなく、世界に誇る海底トンネルもある
本州と九州を隔てる関門海峡の海底下には3本のトンネルがあり、1942(昭和17)年に鉄道用の「関門鉄道トンネル」が、1958(昭和33)年に「関門国道トンネル」、1975(昭和50年)年には新幹線用の「新関門トンネル」が開通しています。
関門鉄道トンネルは、戦時中に開通した世界初の海底鉄道トンネルで、海上の橋だと空爆で狙われやすいことからトンネルにしたそうです。関門国道トンネルは、二重構造で上が自動車、下は徒歩でも通行できる人道となっています。新幹線用の新関門トンネルは、JR西日本(山陽新幹線)の新下関駅と小倉駅を繋ぐ海底トンネルで、開通当時は日本一の海底トンネルでした。
●モータリゼーションによって急ピッチで進んだ道路整備
1960年代後半から1970年代にかけて、高度経済成長と、それを起点に始まったモータリゼーションに対応し、道路交通網、特に高速道路の整備が急ピッチで行われました。1969年に東名高速道路が全線開通となり、全国的に自動車専用道路の建設が進み、自動車の高速時代が到来したのです。
この年代には歴史に残る多くの名車が誕生しました。1966年はトヨタの「カローラ」、日産自動車の「サニー」がデビューして“大衆車元年”と呼ばれ、軽自動車の大ヒットモデル「ホンダN360」(1967年)、日本を代表するスポーツモデルの日産自動車「フェアレディZ」(1969年)、マスキー法をクリアして世界を驚かせたホンダ「シビック」(1973年)などです。
●1日4万~6万台ほどの自動車が走行する関門橋
高速道路の整備が進む中、中国自動車と九州・北九州自動車道を繋ぐ関門橋は関門国道トンネルの激増する自動車の交通量を緩和するために計画。1968年6月に起工、5年5ヶ月を要して1973年に開通し、日本の長大橋建設の先駆的役割を果たしました。
全長1068m(当時は東洋一)の吊り橋で、中央径間712m、桁下の高さ海面上61mで、大型船もその下を楽に通行できます。6車線で1日8万台の通行が可能で、開通後1年間は392万台、2010年以降は1日4万~6万台ほど自動車が走行しています。
また、下関側に壇之浦、門司側に和布刈のパーキングエリアがあり、橋と海峡の絶景を楽しむことができ、人気スポットになっています。
ちなみに、一般道の関門トンネルの通行料金は、110円(軽自動車)/160円(普通車)に対して、高速道路の関門橋はETC使用時260円(軽自動車)/280円(普通自動車)です。
1960年代に始まった高度経済成長と交通網の整備はセットであり、本州と九州を結ぶ関門トンネルや関門橋、同時期に着工した本州と北海道を結ぶ青函トンネルは、本州と九州、本州と北海道の人流や物流の効率化のためには必須だったのです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)