日本初の日刊新聞/英国人ドライバーのピーター・ゲシン生まれる/マツダ・ファミリア1200がデビュー!【今日は何の日?2月21日】

■現存する最古の日刊新聞が創刊

1872(明治5)2月21日、現存する中で最古となる日刊新聞の「東京日日新聞(現、毎日新聞)」が、東京で創刊されました。東京日日新聞は、その後世界初の新聞戸別配達を実施して、1911年には大阪毎日新聞と合併して全国紙へと踏み出しました。ちなみに、現在発行部数が多いのは、読売、朝日、毎日、日経新聞の順です。

さて、2月21日に生まれたのは、俳優の菅田将暉と要潤、女優の酒井美紀と香理奈、テニスの国枝慎吾、経営評論家の大前研一、英国人レーシングドライバーのピーター・ゲシンなどです。本日紹介するのは、ピーター・ゲシンです。

●0.01秒差で唯一のF1優勝を飾った英国人ドライバーのピーター・ゲシンが誕生

英国人ドライバーのピーター・ゲシン(C)Creative Commons
英国人ドライバーのピーター・ゲシン(C)Creative Commons

ピーター・ゲシンは、1940年2月21日英国サリーで競馬ジョッキーの息子として生まれました。1969年から1970年にかけて英国F3とF5000で活躍して、2年連続F5000で年間チャンピオンになります。その実績が認められ、マクラーレンからオランダGPでF1デビュー。1971年のイタリアGPで5位までのタイム差が僅か0.61秒という激戦を制して初優勝を飾ります。ゲシンと2位とのタイム差は0.01秒! F1史上最も僅差の覇者であり、アベレージスピードの242.615km/hは、2003年のミハエル・シューマッハに破られるまで最も速い記録でした。その後は、目立った成績は残せずに1972年にF1を去り、再びF5000で活躍後、1984年からはトールマンF1の監督となりました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●市場の声に応えて排気量を拡大したファミリア1200がデビュー!

1968(昭和43)年2月21日、マツダからファミリアシリーズの排気量を1.0Lから1.2Lに拡大した「ファミリア1200」が登場しました。マツダの本格的な小型乗用車への参入は、1963年の「ファミリアバン」に始まり、翌年には「ファミリアセダン」を発売。1967年1月には、排気量を800ccから1000ccに増やした「ファミリア1000」のセダンが追加され、11月には2代目に移行します。2代目はエンジンこそ同じでしたが初代よりも丸みを帯びたスタイリングに変貌しました。

1968年にデビューしたファミリア1200 ( 4ドアデラックス)
1968年にデビューしたファミリア1200 ( 4ドアデラックス)
1964年に登場したファミリア(初代)800 セダン
1964年に登場したファミリア(初代)800 セダン

そして、2代目のモデルチェンジのわずか3か月後に、小型車ながら余裕の走りと快適性を求める市場の声に応える形で登場したのが、ファミリア1200でした。1.2Lの直4SOHCアルミエンジンを積み、最高出力は58PSから68PSへとパワーアップ。オールアルミエンジンは、当時としては非常に珍しく、軽自動車の「キャロル」もアルミエンジンでした。

1968年にデビューしたロータリーエンジン搭載の ファミリア・ ロータリークーペ
1968年にデビューしたロータリーエンジン搭載の ファミリア・ ロータリークーペ

さらにファミリアのモデル展開は続き、極めつけはファミリア1200の同年7月に登場した「ファミリアロータリークーペ」でした。多彩なモデルを用意したファミリアシリーズは、小型大衆車の先陣を切ったトヨタの「パブリカ」を圧倒して月販1万台を記録したこともあったほどです。

筆者の世代のファミリアと言えば、モデルは違いますが、なんといっても1980年に登場した「赤いファミリア」ですね。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかも知れません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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