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■いまやあたり前のアイドリングストップが1970~80年代にも
今をときめく先進安全技術や省燃費技術は、あたり前のように新車に搭載されています。
しかし、これら技術はいきなり表れて全盛期の今を過ごしているわけではありません。自動車会社がいろいろな研究を長年に渡って進めて試験的に販売しては引っ込め、時代や形を変えてやっと日の目を見るという例も少なくありません。
アイドリングストップもそのひとつです。全盛期は過ぎましたが、少し前まで省燃費技術の筆頭に挙げられていたアイドリングストップ機構は、1970~80年代にも存在していました。
今回はそのひとつ、4代目クラウンの末期、1974年型車に用意されたアイドリングストップをご紹介しましょう。
●クジラクラウンの時代にアイドリングストップがあった
1970年代のアイドリングストップが搭載されたのは、「クジラ」と愛称された4代目クラウンです。
といっても、1971(昭和46)年の登場時点でラインナップされたわけではなく、1973(昭和48)年2月のマイナーチェンジからさらに1年を経た1974(昭和49)年1月に発売されました。その正式名称は「エンジン・オートマチック・ストップ・アンド・スタート・システム(通称・EASS)」。
さきに「搭載」と書きましたが、これは正確ではなく、少々風変わりな形で世に送り出されました。
今の「トヨタ」は「トヨタ自動車株式会社」ですが、もともとはクルマを造る「トヨタ自動車工業株式会社」と、クルマを売る「トヨタ自動車販売株式会社」とに分かれていました(1982(昭和57)年に合併)。
日常思い浮かぶ、ふとした疑問や、普段何気なく目にしている光景が新技術誕生のきっかけになった…というのはよく聞く話です。
ホンダのVTECは、技術者が飲み会で赴いた焼き鳥屋で目にした、店のおやじが焼き鳥の串刺しを転がしている様子がヒントになったといいますが、EASS誕生は、当時のトヨタ自販の加藤副社長が浮かべた「交差点でストップしているときになぜエンジンをまわしているのか」という、しごくまっとうな疑問が発端でした。
ときは排ガス、光化学スモッグが社会問題になった、EASS販売開始から3年ほど前のこと。
風変わりなのはここから先で、いまのアイドリングストップと同じ「自動車が停止したときは自動でエンジンを停め、発進時に即再始動」という、エンジン制御に介入するEASSが、トヨタ自販がディーラーオプションとして発売した点であること、そして装着はそのときのクラウン(=クジラ)のマニュアルトランスミッション車、それも東京地区のクラウンMTだけという点です。
●1970年代半ばなのに周到なフェイルセーフ
このEASSを、当時のモーターファン1974年3月号の中で、モーターファン誌に寄稿していた自動車ジャーナリスト、故・池田英三さんがテストしています。
アイドリングストップ用スイッチがあるのは今のクルマと同じですが、今のクルマは、アイドリングストップを「OFFにするため」のスイッチ。このスイッチを押すことでアイドリングストップシステムをOFF、次に始動したときは自動ONとなり、アイドリングストップがスタンバイ状態になります。つまり今のアイドリングストップは「作動ありき」の考え方なのです。
それにひきかえクジラクラウンは、運転席右のリモコンフェンダーミラーつまみの下にスイッチが設置され、右から「ON」の黒ボタン、左に「OFF」の赤ボタン、その左に緑色のパイロットランプが並ぶという具合です。
「ON」と「OFF」を併設…。このあたり、何だか「す、すいません、まだ都内のクラウンだけに売る試験的なもんなんで…全体でどれほどの効果が現れるか未知数ですし、ま、気が向いたときに使ってください…」といいながら、頭をカキカキする開発陣の姿が見え隠れするようです。
さすがに今のように、「スキあらばとにもかくにもエンジン停止!」とはいかなかったわけです。
ところで筆者はこのEASSが出た少しあとの生まれですが、もし筆者がこの当時、クルマ技術者で「アイドルストップ装置を開発せよ」の命を受けたら、21世紀の今よりもはるかにしょぼい電子技術をフル動員しながらも、単純に「車速0、ギヤはニュートラル、ストップランプ点灯」の3つを条件にしたものを造りあげたでしょう。
初ものだけに、この3つ以外に気がまわらなかったに違いありません。ところがこのEASSは、1970年代半ばの作品の割には、なかなかの周到さで作られています。ここではEASSが作動「しない」条件、そして作動キャンセルの条件をひとつひとつ並べてみましょう。
【作動条件】
1.右ウインカーを作動させて停車しているとき。
2.勾配2度以上の坂道で停車したとき。
3.エンジン水温が90度以上になったとき。
4.消費電力が大きいとき。
5.アクセルを踏むか、クラッチを軽く踏んでいるとき。
【EASSがONでもキャンセルさせる条件】
1.運転席のドアを開いたとき。
2.スターターモーター再起動時にバッテリー電圧が7.5V以下になったとき。
これら条件から、EASSを構成するデバイスがどのようなものかが想像つくというものです。すなわち「スピードセンサー」「スロープセンサー」「エンジン水温センサー」「アクセルスイッチ」「クラッチスイッチ」「ターンシグナルスイッチ」「バッテリー」「そのほか」、そしてこれらを統合する「コンピューター」が「スターター」に指令を送るという仕掛け。
「コンピューター」といっても、当時は電子制御燃料噴射がやっと出まわり始めた頃で、今のものとは段違いなまでに簡便なもの。EASSを統合するコンピューターとて、21世紀のアイドリングストップよりもはるかに簡単な回路であったであろうことは想像に難くありません。
それでは「作動条件」「EASSがONでもキャンセルさせる条件」のひとつひとつについて理由を挙げていきましょう。
【作動条件】
1.右ウインカーを作動させて停車しているとき。
右折待ちで右ウインカーを出し、クルマの途切れ目を狙って進もうとしたとき、エンジンが停止していたらタイミングを逸してしまいます。最悪の場合、エンジン始動から発進までのタイムラグで対向車と衝突する恐れがあるわけで、右折とわかったときは初手からエンジンを停めない制御にするわけです。
2.勾配2度以上の坂道で停車したとき。
上り停車ではクルマがずり下がる恐れがあるため。また、下り時にエンジン停止の状態で進もうとした場合、これは上り停車でのずり下がりでも同じですが、ブレーキブースター(ブレーキ倍力装置)が働かないため、エンジンは停止しません。
3.エンジン水温が90度以上になったとき。
オーバーヒート寄りの高めの温度のときは、再始動が困難になる恐れがあるためです。
4.消費電力が大きいとき。
ヘッドランプ、クーラー、リヤデフォッガー(リヤガラスのくもり取り熱線)使用中は、消費電力が大きいため、作動しません。夏の夜の雨の日などは、バッテリーにとっては過酷なわけです。
5.アクセルを踏むか、クラッチを軽く踏んでいるとき。
このペダルの動きで「ドライバーはすぐ再発進する」と判断。これは1.の右折待ちと関連しますが、敏速性を考えてのことです。これはバックでの駐車操作でも同様で、切り返しのときにペダルを踏み変える都度エンジンを停止されるようでは、ドライバーは使いにくくて仕方ありません。
【EASSがONでもキャンセルさせる条件】
1.運転席のドアを開いたとき。
エンジン回転中、EASS作動中に、EASSの存在を知らないドライバーと運転交代したとき、突然のエンストにあわてる恐れがあるため。
2.スターターモーター再起動時にバッテリー電圧が7.5V以下になったとき。
EASS作動中にバッテリーが低下してしまったら再始動が困難になる恐れがあるため、エンジン停止機能はキャンセルされます。
さすがに今のクルマほど条件がずらりではないし、シートベルト装用義務化のはるか前のことですから、現代のように「運転席シートベルト装用・解除」がアイドルストップ作動・キャンセルの条件に入ってはいませんが、当時として考えられるいろいろなことに配慮していることがわかります。
筆者が「よく気づいたな」と思ったのが「運転席ドアを開けると作動中でもキャンセル」の項目です。今のクルマが「アイドルストップ=発進待機中」の「ドア開」で、ドライバー不在の発進を防ぐのに対し、こちらはどうやら「あわてて降車される」ことを防ぐためのようですから、理由は少し異なります。が、筆者が当時の開発者だったら「ドア開」に作動停止の条件に入れることまで気がまわらなかったでしょう。
●EASSの概要
このEASSは、市街地走行に於いて、クルマが信号待ちや渋滞で停止している時間が、全走行時間の多くを占めている点に着目し、燃料の浪費と、排ガスの中の、特にCO(一酸化炭素)の低減をねらいに開発されました。信号待ちに渋滞…45年以上経っても変わらない交通事情にはあきれかえるばかりです。
それはともかく、当時のトヨタのテストでは、都内走行で燃費が10~15%低減し、10モードテストでCO排出量が30%内外に減少されることが確認できたといいます。
冒頭で述べたとおり、このEASSは東京で販売されるクジラクラウン用で、6気筒2000車と2600車のマニュアル車の新車オプション用。それもディーラーオプションです。よって販売はトヨタ自販。信じられませんが、つまりは当時ディーラーオプションでつけるのが普通だったクーラーやエアコン、フロアマットやカーステレオ、シートカバーなどと同じ扱いだったわけです。
発売は1974(昭和49)年1月14日、価格は取付費込み5万9000円で、300~400セットの販売を見込んでいた模様。このシステムに関する特許を、アメリカに西ドイツ(当時)、フランスの3ヵ国で取得、日本とイタリアの2ヵ国で出願中(当時)でした。
このEASS、加藤副社長の疑問とオイルショック?をきっかけに開発が始まり、燃料消費抑制をねらいに定めたのはよかったものの、当時のクルマの使用形態からすると、路上でエンジン停止というのはさすがに消費者にはピンとこなかったのかもしれません。結果的に1年ほどで引っ込められてしまったようです。
(文:山口 尚志/写真:モーターファン・アーカイブ)