パナマ運河が開通/終戦記念日/名車スバル360の後継R-2登場!【今日は何の日?8月15日】

■今日は、終戦記念日(戦没者を追悼し平和を祈念する日)

パナマ運河のガトゥン閘門
パナマ運河のガトゥン閘門

1914(大正3)年の8月15日、パナマ共和国を挟んで太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河が開通しました。全長82km、幅90~200mで、6つの閘門で水位差を調整して船舶を通行可能にする閘門式運河です。パナマ運河の開通によって、ニューヨークからサンフランシスコ間の航路が、約1万5000kmも短縮されました。これにより、人の移動や物流において莫大な経済効果をもたらしました。

終戦記念日碑
終戦記念日碑

また今日は、「終戦記念日」です。1945(昭和20)年の8月14日にポツダム宣言を受諾した日本は、翌8月15日に昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことを全国民に伝えました。ポツダム宣言とは、前月の7月26日にドイツのポツダムで米国大統領、英国首相、中国主席の名の下、日本に対して無条件降伏を求めた勧告です。即座に日本はこれを無視することを宣言、この対応が広島(8月6日)、長崎(8月9日)への原爆投下のきっかけになり、日本はついにポツダム宣言を受諾して無条件降伏したのでした。一般には「終戦の日」と呼ばれていますが、1982年にこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが閣議決定されました。

さて、クルマ界の今日は何があったのでしょう?

●名車スバルの後継スバルR-2登場!

1969(昭和44)年のこの日、富士重工(現、スバル)の「スバル360」が初めてフルモデルチェンジ、後継車の「スバルR-2」が発売されました。

1969年発売のスバルR-2
1969年発売のスバルR-2
1969年発売のスバルR-2(Rear View)
1969年発売のスバルR-2(Rear View)

スバル360は、1958年にデビュー、日本で最初の大衆車としてモータリゼーションを牽引、「てんとう虫」の愛称で大ヒットします。その後10年間は軽乗用車のトップとして君臨しますが、1960年代後半には各社からライバル車が出現、特に1967年に登場した低価格・高性能の「ホンダN360」によってトップの座を奪われ、人気に陰りが見え始めます。

R-2搭載2ストローク空冷2気筒エンジン
R-2搭載2ストローク空冷2気筒エンジン

その打開策としてモデルチェンジして登場したのが、スバルR-2です。軽量モノコックボディやRR(リアエンジン・リアドライブ)、足回りなどはスバル360を踏襲。外観は、てんとう虫の雰囲気から脱却してベーシックな2BOXスタイルへ変貌し、ホイールベースを120mm延長して居住性が高められました。エンジンは、最高出力30PSを発揮するアルミシリンダーの空冷2ストローク2気筒エンジンを搭載。スバルR-2は、発売2週間で2万6000台の受注で好調に滑り出しますが、その後はライバル車の低価格かつ高出力戦略に遅れを取り、人気は頭打ちになってしまいます。

1958年発売のスバル360
1958年発売のスバル360

これを受けて富士重工は、即座に設計を一新した新型モデルへの移行を決断。1972年7月に新世代モデル「レックス」を発売します。結局、スバルR-2は3年半の1世代で終焉しました。名車スバル360の後継というよりも、レックスまでのショートリリーフ(中継ぎ)的な位置づけのモデルでしたね。

毎日が何かの記念日。それではまた明日!

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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