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■先進技術の粋を結集したスーパースポーツのトヨタ2000GT
トヨタは、1965年第12回東京モーターショーに、ヤマハと共同開発した日本初の本格スーパースポーツ「トヨタ2000GT」のプロトタイプを公開。発売は1年半後の1967年でしたが、市販前にプロトタイプカーで数々のレースで活躍し、スピードトライアルで世界記録を連発するなど、世界トップレベルの性能を実証したのです。
●1965年東京モーターショーで衝撃のデビュー
トヨタは、1955年に誕生した「トヨペットクラウン」から10年後の1965年第12回東京モーターショーで、ヤマハ発動機と共同開発した日本初の本格スーパースポーツ「トヨタ2000GT」のプロトタイプを出品。詳細なメカニズムは公表されませんでしたが、純白のバランスの取れた流線形のスタイリングと豪華なインテリアは、多くの観客を魅了しました。
当時は、1963年に始まった日本GPを頂点にモータースポーツが盛り上がりを見せ、レースに勝つことが車の人気と販売促進につながったため、自動車メーカーとしては高性能スポーツを開発し、レースで勝つことが至上命題だったのです。
トヨタは、モーターショーで2000GTの華麗なスタイリングを公開するだけでなく、その卓越した性能を市販前に実証するため、プロトタイプをハイチューニングしたマシンでレースやスピードトライアルに挑戦しました。
●高速耐久レースでライバルを圧倒
プロトタイプの2000GTは、さっそくモーターショーの翌1966年5月に開催された第3回日本グランプリにエントリーし、3位入賞しました。この時1-2フィニッシュしたのは、2.0Lながら200PSを超えるプリンス自動車の本格レーシングカー「R380」でした。ちなみに、これを機にトヨタも本格的なレーシングカー「トヨタ7」の開発に着手したのです。
同年6月の鈴鹿1000km耐久レースでは、1-2フィニッシュを飾って優勝し、高速耐久性能の高さをアピール。さらに、翌年の発売1ヶ月前の1967年4月には、ル・マン24時間レースをそのまま再現させることを目的に開催された富士24時間レースに参戦しました。
レースには、トヨタ勢では2台の2000GTと3台の「トヨタスポーツ800」がエントリー。ライバルの「プリンス2000GT」、「ブルーバードSS」、「ホンダS600」、「フェアレディ」、「いすずベレット」、「スバル1000」などに加えて、「ミニ・クーパー」など外国勢も参戦しましたが、2台の2000GTが1台のS800をサンドイッチにした編隊走行で余裕のフィニッシュを飾り、圧倒的な実力差を見せつけました。
●スピードトライアルで数々の世界記録を樹立
レースだけでなく、発売の前年1966年10月1日~4日、2000GTは谷田部の日本自動車研究所・高速試験場で日本初のスピードトライアルに挑戦しました。スピードトライアルとは、FIA(世界自動車連盟)の公認のもとで、文字通りスピードを競うチャレンジで、速度記録は絶対的な世界記録とクラス分け(2000GTは、1500cc~2000ccのEクラス)された最速記録に分けられます。
チャレンジした2000GTは、ボンネットをグリーンに塗り分け、フォグランプの位置にロングレンジランプを装備。2.0L直6 DOHCエンジンは、200PS/7000rpmまでチューンアップされ、10月1日に3日後のゴールを目指してスタートしました。
まず、クーパーの持つ6時間の国際記録を更新、その後も順調にラップを重ねます。2日目の風雨の悪天候を乗り越え、10月3日には走行48時間の世界記録203.9km/hを達成。そして、スタートから78時間3分後の10月4日午後4時9分に無事チェッカーフラッグを受けました。
最終的に48時間/72時間/1万5000kmの世界記録と、13のEクラス国際記録を樹立。このチャレンジによって、2000GTの性能が世界トップであることを実証したのです。
●数々の実績を上げてトヨタ2000GTがついに市販化
モーターショーから約1年半後の1967年5月、2000GTが市場に投入されました。
空気抵抗の小さいロングノーズに日本初のリトラクタブルヘッドライトを組み込んだ流線型ボディに、インテリアはローズウッド材のインパネやレザーのリクライニング付のバケットシートなどを装備して、その美しさと卓越した走りによって圧倒的な存在感を放ちました。
ヤマハ主導で開発したエンジンは、2.0L直6 DOHCにソレックス・キャブ3連装を装着し、最高出力は150PSを誇りました。トランスミッションはフルシンクロ5速MT、ステアリングはラック&ピニオン、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン、ブレーキは4輪サーボ付きディスクと、当時の先進技術を惜しげもなく投入。最高速度220km/h、0→400mは5.9秒、0→100km/hは8.6秒と、数々のレースでも実証された動力性能は、世界トップクラスでした。
車両価格も破格で、当時のクラウンの約2倍の238万円、大卒初任給が2.8万円(現在は約23万円)程度だったので今なら2000万円に相当し、まさしく庶民には手の届かないスーパーカーだったのです。また、人気映画007シリーズ「007は二度死ぬ」に登場して、世界的にもその美しいフォルムが話題を呼びました。
●トヨタ2000GTが発売された1967年は、どんな年
1967年には、2000GTの他にホンダ「N360」やマツダ「コスモスポーツ」、トヨタ「センチュリー」、日産自動車「日産・プリンス・ロイヤル」も登場しました。
ホンダN360は、4ストロークエンジンを搭載し大ヒットした高性能のFF軽乗用車、コスモスポーツは量産初のロータリーエンジン搭載車。センチュリーは、トヨタを代表する4.0L V8エンジンを搭載した最高級乗用車、プリンス・ロイヤルは6.4L V8エンジンを搭載した天皇陛下の御料車として製造された最高級リムジンです。
その他、この年にはカラーTVの本放送が開始され、ラジオ番組「オールナイトニッポン」の放送が始まりました。タカラの「リカちゃん人形」、森永製菓の「チョコフレーク」と「チョコボール」、人気マンガ「天才バカボン」、「ルパン3世」、「あしたのジョー」の連載が始まりました。
また、ガソリン53円/L、ビール大瓶128円、コーヒー一杯77.5円、ラーメン132円、カレー126円、アンパン21円の時代でした。
日本の自動車技術の発展を象徴したスーパースポーツのトヨタ2000GT。日本の技術が世界レベルに到達したことを実証した、日本の歴史に残る車であることに、間違いありません。
(Mr.ソラン)