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■ロータリーエンジンを量産化した唯一の自動車メーカー
マツダの起源は、1920年1月30日に設立された東洋コルク工業です。2代目社長の松田重次郎が、1927年に東洋工業に改称、それから50年以上経った1984年にマツダと改称されました。
トラックで成功して乗用車事業に参入して世界初の量産ロータリー車で名を馳せ、その後も個性的豊かな車作りを行っています。
●コルク製造からトラック製造に、そして乗用車事業に参入
マツダのルーツである東洋コルク工業は、その名の通りコルク瓶栓や断熱材などを製造する会社として設立。2代目社長の松田重次郎氏が、将来性を見据えて機械製造への進出を図り、1927年に社名を東洋工業へ変更します。
折しも日本は、戦争に備えて軍備を強化している時期で、東洋工業は戦闘機のエンジンやプロペラ、精密機器の製造などの大量受注によって急成長。この成功と培った技術をベースに、バイク製造に始まり、それを利用した3輪トラック(オート3輪)へと進み、1931年に発売された3輪トラック「マツダ号DA型」は大ヒットを記録しました。
戦後は4輪トラックでも成功を収め、満を持して乗用車事業へ参入。最初の乗用車は、1960年発売の軽乗用車「R360クーペ」、その後1962年に「キャロル」、1964年に小型車「ファミリア」を投入し、いずれも好評を得て自動車メーカーとしての基盤を構築したのです。
●世界初の量産ロータリーエンジンをモデル展開
世界初となったロータリーエンジン搭載の量産化モデルは、1967年にデビューしたマツダの「コスモスポーツ」です。
コスモスポーツは、最高出力110PS/最大トルク13.3kgmを発揮する10A型(491cc×2ローター)ロータリーエンジンを搭載した2シーターのスポーツカー。最高速度185km/h、ゼロヨン(0-400m)加速が16.3秒という圧倒的な動力性能を誇りました。
マツダはその後、ロータリーエンジンのモデル展開を進めます。「ファミリアロータリークーペ」、「ルーチェロータリークーペ」、「サバンナ」、「コスモAP」、「サバンナRX-7」、「ユーノスコスモ」と次々と個性的なロータリーモデルを投入します。
しかし1980年以降、ロータリーエンジンはオイルショックによる低燃費化や厳しい排ガス規制への対応が厳しくなり、2003年に発売された「RX-8」が最後のロータリー搭載車となったのです。
●フォード傘下で再生に成功して、SKYACTIV技術が誕生
マツダは、1990年代のバブル崩壊の経済状勢や、販売拡大を狙った販売網の5チャンネル化の失敗などで経営危機に陥り、1996年ついにフォード傘下となって再生を図ります。
その先鋒となったのは、フォード傘下となった翌月に発売されたコンパクトカー「デミオ」です。デミオは、コンパクトながら多彩なシートアレンジや居住性を確保して大ヒットを記録、再生の狼煙を上げたのです。
その後、マツダは2001年の東京モーターショーで新しいブランドメッセージ「Zoom-Zoom」を発表。これは、走る喜びを追求したマツダらしい車づくりを目指すという企業メッセージです。
そして、2011年からは「デミオ」や「アテンザ」など主力モデルに、マツダ独自の“SKYACTIV(スカイアクティブ)技術”を展開し、SKYACTIVはマツダの看板技術となりました。
●2023年待望のロータリーエンジンが復活
いったん市場から消えたロータリーエンジンでしたが、その後続いたロータリー復活待望論に応えて、2023年9月、ついに新型ロータリーエンジンを搭載した「マツダMX-30 ロータリーEV」が登場しました。
高出力モーターとジェネレーターの同軸上に配置されたロータリーエンジン(8C型)は、発電機としてのみ使われ、発電した電気でモーター走行し、バッテリーを満充電すれば100km以上のEV走行も可能なPHEV(プラグインハイブリッド)です。
伝統的にロータリーエンジンやSKYACTIVエンジンなど、個性豊かな内燃機関の改良を追求してきたマツダですが、最近はPHEVやEVなど電動化技術にも本腰を入れて取り組む姿勢が顕著になってきました。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)