記念すべき100年を迎えた東京都営(当時は市営)の「乗合バス」が運行開始【今日は何の日?1月18日】

■市営バスで始まり、都営バスとなって今年で100年目

1924年に運行が始まった東京市営バス
1924年に運行が始まった東京市営バス「円太郎バス」

1924年(大正13年)1月18日、都バスの前身にあたる東京市営乗合バスが、巣鴨駅~東京駅と、中渋谷駅~東京駅の2系統で運行を始めました。

前年の1923年に発生した関東大震災で、大打撃を受けた都電の代替交通機関として運行し、今年2024年は記念となる都営バス100年を迎えたのです。


●関東大震災で崩壊した市電の代替として市営バスが運行

1911年に初めて東京市電気局が路面電車を走らせ、以降、路面電車が東京市民の足として定着しました。ちなみに、当時の東京は”都”ではなく”東京市”だったので、始まりは市営電車でした。一方で乗合バスについては、民営の乗合バスが細々と走っていました。

その状況が一変したのは、1923年9月1日に発生した関東大震災でした。東京は火に包まれ、400両近くの市電が消失し、路面電車は壊滅状態。復旧には相当な時間が必要となったのです。

そこで、市民の足を確保する応急手段として、開業が比較的容易な、自動車による輸送である乗合バスの運転が計画され、東京市電気局は直ちに800台のTT型フォードを米国フォード社に注文しました。

TT型フォードを改良の後、翌1924年1月11日には試運転を終了し、同月18日、巣鴨~東京駅前間、中渋谷~東京駅前間の2系統で運行を開始。震災からわずか4ヶ月という短期間での開業を実現し、ここに市営バス、現在の都営バスが誕生したのです。

●最初の市営バスは、TT型フォードを改良した11人乗りのバス

こうして運転を開始した乗合バスは、フォード社製の「TT型フォード」をベースに、木製骨車体でバス化した11名乗車のワンマンバスでした。TT型フォードは、「T型フォード」をロングホイール化したトラックで、またT型フォードは、創業者のヘンリー・フォードがライン方式の大量生産を行い、大成功した1908年発売の乗用車です。

フォード・モデルT(T型フォード) (C)Creative Commons
フォード・モデルT(T型フォード) (C)Creative Commons

TT型フォードは、T型と同じ20PSの4気筒2896ccエンジンを搭載していたため、走行性能は高いとは言えませんが、優れた耐久性を発揮して、T型乗用車と同様にTT型は米国の物流を支える存在となっていました。

しかし、急造の市営乗合バスは、実用性を第一としていたために、側面に板を張って屋根に布幌を張った簡素な仕様で、乗り心地もよくありませんでした。

また、当時の人気落語家、四代目・橘家圓太郎が乗合馬車をネタにしていたことにちなんで、「円太郎バス」と呼ばれるようになりました。

●日本初の乗合バスは外国製の蒸気自動車だった

日本初の乗合バスについては諸説ありますが、1903(明治36)年9月20日に二井商会による京都市内を走ったバスが、日本初として有力です。堀川中立売~七条駅、堀川中立売~祇園間を走行した、外国製の蒸気自動車を改造した6人乗りの帆のないバスでした。

蒸気自動車を走らせる蒸気機関は、石炭や石油を燃やしてボイラーで発生した高温高圧の蒸気を、ピストンが組み込まれたシリンダーに送り込み、シリンダーに装着した弁の開閉によって蒸気の圧力を切り替え、ピストンに往復運動させます。この往復運動をピストンロッドで回転運動に変換して、動力とする外燃機関です。

ただし、ライバルだった乗合馬車屋からの営業妨害や故障が頻発したこともあり、長続きしなったようです。


日本のEVバスは、全国で150台程度(2023年3月時点)にとどまっており、世界的に見ても遅れています。日本バス協会は、2030年までにEVバス1万台を目標に導入することを公表しています。バスにもカーボンユートラルの大波は確実に押し寄せているのです。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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