『東京オートサロン1989』は昭和最後の日から平成最初の日に開催。スカイラインGT-R・フェアレディZ・スープラ・シーマが登場

東京オートサロン2024が1月12日(金)、13日(土)、14日(日)に幕張メッセで開催されます。どんなマシンたちで会場が埋め尽くされるのか、行って生で見てみないと感動は半減です。ぜひ会場まで足をお運びくださいね!

今年の東京オートサロンを前に、【平成最初】の東京オートサロンはどんなだったのか? 当時、会場内のOPTIONブースでステッカー配りをしていた私の記憶を辿ってみたいと思います。

■東京オートサロン1989は昭和と平成をまたいで行われた

●東京オートサロン2日目早朝に流れた大ニュース……そして

東京オートサロン1989
東京オートサロン1989

東京・晴海「東京国際貿易センター」(通称:晴海)で行われた【東京オートサロン1989】の開催期間は、1月6日(金)~8日(日)。そう、昭和最後の日(1月7日)と平成最初の日(1月8日)にかけての開催でした。

昭和天皇が1月7日早朝に崩御され、世界中にニュースが駆け巡りました。その日の東京オートサロン1989・2日目の晴海会場は朝からど~んよりな雰囲気。各ブースとも音楽は止め、ライティングも最小限もしくは消灯。フジツボ・ブースは特に、当時の藤壺勇社長が同じ1月7日に亡くなられたこともあり、悲しみの中での東京オートサロンとなりました……

●新元号は<ヒラナリ>と叫んだ人が!(汗)

午後になり、ニュースを見ていた誰かが「新元号は<ヒラナリ>だって!」と叫んでいたのが思い出されます。そうなんです、誰だったかは思い出せませんけど、正しく<ヘイセイ>と伝えてくれなかったのですよ! 携帯電話も普及していないような時代。情報はテレビやラジオのみだったので、情報不足。なぜかそのことをよ~く覚えています。

また誰かが「こんな日に改造車のイベントなんかやってていいのかよ! ○○○が襲ってくるんじゃね~の!?」とか言い出してビクビクしたりして……。でもなぜか、この年のオートサロンは盛況だったとも記憶しています(3日間の総来場者数:15万0297人)。

●出展車中、私の1番の思い出は「RE雨宮GReddy7」

RE雨宮GReddy7
RE雨宮GReddy7

画像を見ても分かるとおり、昭和最後のチューンドカーたちはとっても元気があります。R31スカイライン(GTS-Rなど)やフェアレディZ31、70スープラ、シーマやS13シルア等のニッサン系のチューンドベース車も多かったような記憶。

中でも私の中で思い出深いのは、RE雨宮自動車・雨さん渾身の作、GReddy7シリーズ最初の「GReddy7」。FC3S RX-7のJSSレースマシンをベースにストリート仕様改。「昭和の公認チューンド」の代表でもある鮮やかなブルーのボディカラーは、今でも鮮明に覚えています。

●今でも語り継がれる伝説の「OPTIONラーメン」もこの年の目玉だった!

知ってます?「OPTIONラーメン」って! 昭和最後の年末(1988年)も押し迫ったころ……OPTION編集会議にて、「寒い夜の峠で~、暖まったエンジンルームで~、お湯を沸かして~、ラーメン食べるってど~よ!?」みたいなノリから本当に作ってしまった「OPTIONラーメン」。

OPTIONラーメン
OPTIONラーメン

ベースはスガキヤさんのしょうゆ味。蓋に当時のOPTIONマスコット「GRAMPUSクラブのシャチ」が描かれたカップ麺。オートサロン会場で飛ぶように売れ、昭和最後~平成最初のオートサロンの目玉商品でした。

商品が出来上がった昭和最後の年末当時、お腹が空いたら「OPTIONラーメン」を食べていたスタッフが多かったですねぇ。スガキヤさんのでしたから、味は保証付きだったんです。

コレをオートサロン会場で売りまくり、最後の1箱(最後のほうはもってけ泥棒!状態の箱売りをしていた!)まで売り切って、在庫も無くなり、そして伝説となった「OPTIONラーメン」。今、どこかで発掘されたらご連絡くださいネ!

●「公認チューンドカー」たちが平成をリードしていった!

東京オートサロン1989は、出展車数114台、総来場者数15万人オーバー!という大盛況(※前年の1988年は13万9810人)。新元号「平成」とともにチューニング業界が新時代に突入するきっかけともなるような車がたくさん生まれた年でもありました。

平成元年にリリースされた車で1番に思い浮かぶのは、やはり「スカイラインGT-R(BNR32)」ではないでしょうか。8月に発売後、レースの世界でも、チューニングの世界でも圧倒的なパワーを秘めたRB26エンジンとともに、今に至るまで伝説を作り続けている車です。

また他にも、マツダの「初代ロードスター」や最高速でブイブイいわせることになる「フェアレディZ(Z32)」、また「初代セルシオ」や「180SX」なども平成元年に生まれた車です。

チューニング業界で言えば、車検対応マフラーでお馴染みの日本自動車スポーツマフラー協会(JASMA)が発足されたのも平成元年。昭和の時代には、ほぼすべてが違法改造だったOPTIONの世界が、一気に「公認」の名のもとに世間に認められていった……のも平成元年の出来事。

想い出してみると、平成の時代はOPTION系チューニングの世界が一転したとも言えるでしょう。ワタクシゴトですが、この自動車業界に10年ぶりに復帰?した平成最後の2018年。この先、新しい元号の時代にはどんな魅力的な車が生まれるのでしょうか?

あ、今の私が魅力を感じるのは「チューンドベース車」だけではありません。自動運転車は要りませんけど。とりあえず新元号記念として、キーを回さずともボタンひとつでエンジンがかかる車を運転してみようと思います!

(元OPTION編集部・現clicccar編集部:永光 やすの

※2019年1月6日の記事を2024年1月9日に追記・再編集しました。

この記事の著者

永光やすの 近影

永光やすの

「ジェミニZZ/Rに乗る女」としてOPTION誌取材を受けたのをきっかけに、1987年より10年ほど編集部に在籍、Dai稲田の世話役となる。1992年式BNR32 GT-Rを購入後、「OPT女帝やすのGT-R日記」と題しステップアップ~ゴマメも含めレポート。
Rのローン終了後、フリーライターに転向。AMKREAD DRAGオフィシャルレポートや、頭文字D・湾岸MidNight・ナニワトモアレ等、講談社系車漫画のガイドブックを執筆。clicccarでは1981年から続くOPTION誌バックナンバーを紹介する「PlayBack the OPTION」、清水和夫・大井貴之・井出有治さんのアシスト等を担当。
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