スズキ初の小型車、日本初のFF小型車「フロンテ800」。なぜ急いでデビューして少量生産で終わったのか?【歴史に残るクルマと技術020】

■フロンテ800で小型大衆車市場に参入したスズキ

1965年にデビューしたスズキ初の小型車フロンテ800
1965年にデビューしたスズキ初の小型車フロンテ800

1955年、日本初の量産軽自動車「スズライト」を世に送り出したスズキは、1962年により大衆に好まれるような軽乗用車「スズライト・フロント」を経て、1965(昭和30)年12月にスズキ初の小型車であり、日本初のFF小型車でもあった「フロンテ800」を発売しました。


●スズライトからフロンテ800誕生までの経緯

スズライトの登場で幕開けた軽自動車ですが、スズキはその後も軽のパイオニアとして、積極的に新しいモデルを投入しました。

1955年に登場した日本初の軽乗用車スズライト
1955年に登場した日本初の軽乗用車スズライト

スズライトは当初、セダンSSとライトバンSL、ピックアップSPの3つのモデルを用意していましたが、量産効果を出すため3年後の1958年には、価格が抑えられるライトバンの1車種に絞りました。1959年に「スズライトTL」がデビューしましたが、これも商用車のライトバンでした。

1963年にデビューしたスズライトフロンテ(FEA)
1963年にデビューしたスズライトフロンテ(FEA)

そして、1962年にスズライトTLのテール部をトランクルームに改造した軽乗用車「スズライト・フロンテ(TLA)」が登場。フロンテの名が付いた初代に相当しますが、フロンテは軽自動車の先駆者(フロンティア)の意味と前輪駆動FF(フロントエンジン・フロントドライブ)を示す造語です。

その翌年にデビューした「フロンテ(FEA)」は、1963年の第1回日本グランプリのツーリングカー400cc以下クラスで優勝。スズキの先進的なFFレイアウトと、2ストロークエンジンの性能、耐久性の高さを大きくアピールしました。

●乗用車メーカー再編成構想に対応、小型乗用車を急いで開発

その後、スズキは小型大衆車の開発にも着手しましたが、フロンテ800の市場投入を急いだ背景には、1961年に政府が提唱した “乗用車メーカー再編成(3グループ)構想”が関係していました。

これは、乗用車メーカーを「量産車グループ」と「スポーツカー/高級車グループ」、「軽乗用車グループ」の3つのグループに分けるというもの。この乗用車再編成が実施されれば、当時、軽自動車しか作っていなかったスズキは、軽乗用車グループに分けられ、小型車市場への参入が困難になる可能性があることから、小型乗用車の市場投入を急ぐ必要があったのです。

そこで、スズキはまず1962年の「東京モーターショー」で、フロンテ800のベースとなるプロトタイプを展示し、小型乗用車の開発が順調に進んでいることをアピールし、近々に市場投入することを宣言しました。ちなみに、乗用車メーカー再編成構想は、独立独歩を希望する自動車メーカーの反対によって、実際には実現しませんでした。

●イタリアンな雰囲気の曲面ボディとメカニズムを装備したフロンテ800

モーターショーの展示から2年後1965年にデビューしたフロンテ800のスタイリングは、国産車初のサイドウインドウに曲面ガラスを使った、イタリア車風の美しい曲面ボディの2ドアセダンでした。その斬新なスタイリングから、イタリア人デザイナーの関与が噂されましたが、完全な社内デザインでした。

フロンテ800の主要諸元
フロンテ800の主要諸元

パワートレインは、785cc直3水冷2ストローク縦置きエンジンと4速MTを組み合わせたFFレイアウト。吸気の分配性を均一化したインレットマニホールドに、2連式の2バレルタイプのキャブレターを装備し、最高出力41PS/最大トルク8.1kgmで、0-200m発進加速は13.9秒と優れた走りを発揮しました。

足回りは、トーションバースプリングの4輪独立懸架で、フロントはウィッシュボーン、リアはアクスルハウジングとアクスルシャフトの両方で支える半浮動式を採用し、乗り心地も好評を博しました。

車両価格は、スタンダード46.5万円/デラックス54.5万円。ちなみに、当時の大卒の初任給は2.3万円程度(現在は約23万円)で、小型大衆車としては高額でした。

●急いで市場に投入されるも短命で終わった理由

スタイリング、メカニズムともに斬新なスズキ初のフロンテ800でしたが、約3年半の生産台数は2717台で、1969年4月に短命で販売を終了しました。

1966年4月にデビューしたダットサン・サニー
1966年4月にデビューしたダットサン・サニー

販売に苦しんだ理由は、フロンテ800の翌1966年4月にデビューした日産自動車「サニー」と同年11月にデビューしたトヨタ「カローラ」の存在がありました。2つのモデルは、フロンテ800よりもひと回り大きく、優れた性能と乗り心地、居住性などバランスのとれた大衆車として、大ヒットを記録したのです。

1966年11月にデビューしたトヨタ・カローラ
1966年11月にデビューしたトヨタ・カローラ

しかも車両価格は、スタンダードでフロンテ800の46.5万円に対して、サニーは41.0万円、カローラは43.2万円と、排気量が1000ccのサニー、1100ccのカローラに比べると、かなりの割高でした。さらにトヨタと日産が、“CS戦争“と呼ばれた熾烈な販売競争を仕掛けたため、販売網で見劣りするスズキには大きなハンディとなりました。

その後、スズキは軽自動車に専念し、再びスズキが小型車を生産したのは、フロンテ800の生産終了から14年半経った1984年10月にデビューした「カルタス」でした。

●フロンテ800が誕生した1965年はどんな年?

1965年には、トヨタの「トヨタスポーツ800」、日野自動車の「日野コンテッサ1300クーペ」、日産自動車「シルビア」と「プレジデント」も登場しました。

1965年デビューのトヨタスポーツ800
1965年デビューのトヨタスポーツ800

トヨタスポーツ800は、“ヨタハチ”と呼ばれた2シーターのコンパクトスポーツカーで、1965年第1回全日本自動車クラブ選手権のGT-Iクラスで優勝するなど、レースで輝かしい成績を記録。

1965年デビューの日野・コンテッサ1300クーペ
1965年デビューの日野・コンテッサ1300クーペ

コンテッサ1300クーペは、ミケロッティデザインの流麗なスタイリングとRR(リアエンジン・リアドライブ)レイアウトが特徴で、国内外レースでも活躍しました。

シルビアは、2シータークーペのスペシャリティーカーで、“走る宝石”と呼ばれたハンドメイドの流麗なスタイリングが特徴。

プレジデントは、当時国内最大の車両とエンジンサイズを誇った最高級車。政府の要人など、ショーファーカーとして重用されました。

その他、この年には湯川秀樹氏に続いて朝永振一郎氏が日本で2人目のノーベル賞を受賞し、ソニーが世界初のビデオレコーダー「CV-2000」を、大塚製薬が「オロナミンCドリンク」を発売し、TVアニメ「ジャングル大帝」の放送が始まりました。また、ガソリン51円/L、ビール大瓶120円、コーヒー一杯71.5円、ラーメン60円、カレー120円、アンパン12円の時代でした。


スズキが初めて挑戦した小型乗用車、小型車として日本で初めてFFレイアウトや美しい曲面ボディを採用したフロンテ800。日本の歴史に残るクルマであることに、間違いありません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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