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■人気の“ケンメリ”に続いた“ジャパン”も大ヒット
1977(昭和52)年8月8日、日産自動車から5代目「スカイライン」がデビューしました。
伝説となった“ハコスカ”、“ケンメリ”に続いた5代目のキャッチコピーは、日本車の決定版の意味を込めて「スカイライン・ジャパン」。厳しい排ガス規制のなか、スカイライン初のターボモデルを追加するなど、高性能と環境性能を両立させたのが特徴でした。
●社会的な一大ブームを巻き起こした先代のケンメリ
“ケンとメリーのスカイライン”のキャッチコピーとともに、一世を風靡した4代目スカイラインがデビューしたのは1972年のこと。
ダイナミックなハコ型の3代目“ハコスカ”からデザインを一新。シャープながらやや丸みを待たせたスポーティなファストバックスタイルと以降スカイラインのシンボルとなる丸形テールランプが採用されました。
2ドアハードトップと4ドアセダン、ワゴン、バンが設定されましたが、人気となったのはもちろん美しいフォルムのハードトップでした。室内も、大型ソフトパットで覆われたインパネや木目パネルを多用するなど、スポーティかつゴージャスに仕上げられ、エンジンは1.6L&1.8L直4 SOHCベースに、2000GTには2.0L直6 OHCのツインキャブ仕様が搭載されました。
4代目スカイラインは、ファッショナブルなTVコマーシャルで“ケンメリ”の愛称を日本中に浸透させ、“ハコスカ”を上回る人気を獲得して、歴代最高の販売台数を記録したのです。
●ケンメリに続いたジャパンも引き続き人気を獲得
空前の人気モデルとなったケンメリの後を継いだ5代目スカイラインは、「日本の風土が生んだ日本の名車」の意味を込めて、“ジャパン”のキャッチコピーが付けられました。
ジャパンは、先代より直線基調でシャープなフォルムを採用し、先代と同じく4ドアセダンと2ドアハードトップをラインナップ。エンジンも先代と同じですが、当時は世界的に排ガス規制が強化されて排ガス対応が優先されたため、特に際立った性能ではありませんでした。
車両価格134.1万~194.4万円で販売されたジャパンは、ケンメリの勢いを減速させることなく、販売開始数年は15万台前後/年と好調な販売を記録しました。
●歴代スカイラインに付けられたユニークなニックネーム
歴史の長いスカイラインには、そのクルマの特徴や時代背景を表現したニックネームが付けられ、スカイラインというよりも、そのニックネームで呼ばれていました。
・2代目(1963年~1968年):羊の皮を被った狼
日本グランプリでポルシェを抜き去った偉業をもって、見た目とパワーのギャップからつけられ、ニックネームというよりは名言。
・3代目(1968年~1972年):ハコスカ
箱(ハコ)型のスカイライン(スカ)と短縮されたネーミング。
・4代目(1972年~1977年):ケンメリ
キャッチコピー“ケンとメリーのスカイライン”、TVコマーシャルで日本中に広まった。
・5代目(1977年~1981年):ジャパン
上記の通り、“日本の風土が生んだ日本の名車”の意味を込めてジャパンの愛称で親しまれた。
・6代目(1981年~1985年):ニューマンスカイライン、鉄仮面
CMに米国人気俳優のポール・ニューマンを起用したことから、また鉄仮面はマイナーチェンジで登場した6代目後期のフロントグリルレスの特徴的な鉄仮面を思わせるフロントフェイスから付けられた。
・7代目(1985年~1990年)セブンス:
7代目(seventh)に由来。
当時のライバルは、トヨタの「セリカ」。DOHCエンジンを搭載したセリカが放った“名ばかりのGT達は道を開ける”というキャッチフレーズが、SOHCエンジンのジャパンを挑発するようだと評判になりました。
しかし、1980年にジャパンがスカイライン初のターボモデル「2000GTターボ」を登場させ、今度は逆に“今、スカイラインを追うのは誰か”とやり返したのは有名な話です。今では考えられない、当時はライバル意識むき出しでした。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)