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■11代目ブルーバードはシルフィのサブネームを付けたオーソドックスセダン
2000(平成12)年7月27日、日産自動車は「ブルーバード」の11代目として「ブルーバード・シルフィ」を発表、発売は翌月から始まりました。
長い歴史を辿ってきた日産のブルーバードは当時、オーソドックスなセダンでもあったため、シルフィというサブネームを付けることで新鮮さを強調しましたが、日本では存在感を示せませんでした。
●日本のマイカーブームをけん引した名車ブルーバード誕生
日産のブルーバードと言えば、トヨタのコロナとともに、1960年代に日本のモータリゼーション、マイカーブームをけん引したミドルサイズのセダンです。トヨタからは1957年に初代「トヨペットコロナ」が発売されましたが、対抗する形で初代ブルーバードは、1959年に「ダットサン・ブルーバード(310型)」の車名でデビューしたのです。
ブルーバードは、ラダーフレームにセミモノコックボディを採用し、ボディタイプは当初4ドアセダンのみで、親しみやすい丸みを帯びたフォルムを採用。パワートレインは、1.0Lと1.2L直4 SOHCエンジンと3速MTの組み合わせ、駆動方式はFRで、家族が乗って楽しめる快適性がウリでした。
初代ブルーバードは、大々的な発表会を行ったこともあり、1ヶ月で約8000台を受注。翌年には、トヨタからライバル車新型「コロナ」がデビューし、市場を二分して熾烈な販売合戦、いわゆる“BC戦争”が繰り広げられたのです。
●コロナと激しいトップ争いをするも、バブル崩壊で人気が低迷
その後ブルーバードは、1963年の2代目、1967年の3代目とモータースポーツでの活躍もあり大ヒット、小型乗用車のトップの座に君臨します。しかし、高級車路線へ舵を切った4代目と、その後の5代目は低迷し、販売台数でライバルのコロナに首位の座を奪われてしまいます。
1979年に登場した6代目は、スポーツ路線に回帰して、ターボエンジンが搭載された「1800SSS/2000SSS」は、圧倒的な走りで多くの若者の人気を獲得。販売台数は、1979年12月には小型乗用車クラスで月間トップとなり、それ以降27ヶ月連続でトップに君臨し続けました。
ブルーバードは、始めてFFとなった1983年の7代目、4WDが登場した1987年の8代目と続きましたが、1991年の9代目と1996年にデビューした10代目は、バブル経済崩壊の影響もあって、かつてのブルーバードの輝きは失せてしまいました。
●団塊の世代をターゲットにした11代目も人気挽回ならず
11代目ブルーバードのブルーバード・シルフィは、人気が低迷していたブルーバードの人気挽回のため、シルフィというサブネームを付けることで新鮮さをアピール。当時の50代“いわゆる団塊の世代”をターゲットにして、オーソドックスで保守的なセダンスタイルを採用しました。
パワートレインは、1.5L/1.8L/2.0L直4 DOHCの3種エンジンと、CVTおよび4速AT、5速MTの組み合わせ。注目されたのは、日本車として初めて米国U-LEV(超低排出ガス車)の認定を受けたことでした。
販売価格は、154.9万円(1.5L)~206.2万円(2.0L)とリーズナブルでしたが、サニーのコンポーネントを流用したため、室内空間が狭く、さらに日本はセダン冬の時代に突入していたので販売は低迷。
2012年の3代目でブルーバードの冠がとれて、シルフィの単独ネームとなりましたが、2020年に国内での販売は終了しました。
一方でブルーバードの血を引くシルフィは、海外、特にセダンの需要が高い中国では大ヒット。日本販売が終了した後も、人気の中国では4代目がデビューして、相変わらずの人気を獲得しています。中国では、まだ根強いセダン人気があり、シルフィは性能、経済性、信頼性の3拍子が揃ったクルマとして、ブランドが確立されているのです。
ブルーバードとコロナのBC戦争、続いたカローラとサニーのCS戦争など、当時のトヨタと日産のライバル関係が黎明期の自動車の技術進化に大いに貢献しました。名車ブルーバーの名は消えましたが、その後の日産の多くのクルマのお手本になったのではないでしょうか。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)