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■前年に建設された鈴鹿サーキットで開催された本格的な4輪レース
1963年(昭和38)年5月3日~4日、第1回日本グランプリ(GP)が、前年1962年の11月に開業した鈴鹿サーキットにおいて開催されました。
日本におけるレース専用舗装コース初の本格4輪レースで、国産乗用車中心のツーリングカーの6クラスと、輸入車中心のスポーツカーの3クラス、海外招待選手による国際スポーツカークラスの2クラスと、多くのレースが華やかに行われました。
●2日間11レースの優勝車(ドライバー)
・C-Iクラス(ツーリングカー400cc以下):スズライト・フロンテ(望月修)
・B-Iクラス(スポーツカー1300cc以下):DKW・1000(井口のぼる)
・C-IVクラス(ツーリングカー1001~1300cc):フォルクスワーゲン(鈴木義一)
・B-IIクラス(スポーツカー1301~2500cc):ダットサン・フェアレディ(田原源一郎)
・Aクラス1日目(国際スポーツカー):ロータス・23(ピーター・ウォー)
・C-Vクラス(ツーリングカー1301~1600cc):トヨペット・コロナ(式場壮吉)
・C-IIIクラス(ツーリングカー701~1000cc):日野自動車・コンテッサ(立原義次)
・B-IIIクラス(GTカー2501cc以上):ジャガー・Eタイプ(アーサー・オーウェン)
・C-IIクラス(ツーリングカー401~700cc):トヨタ・パブリカ(染谷文郎)
・C-VIクラス(ツーリングカー1601~2000cc):トヨペット・クラウン(多賀弘明)
・Aクラス2日目(国際スポーツカー):ロータス・23(ピーター・ウォー)
●注目のスポーツカークラスで、フェアレディ1500が優勝
第1回日本GPの中で特に注目されたのは、海外スポーツカーの「ポルシェ356」「フィアット1500S」「トライアンフTR4/TR3」「MGB」など強豪マシンが揃った“スポーツカー1301cc~2500ccクラス”で優勝を飾った「フェアレディ1500」です。
フェアレディは、1961年の東京モーターショーで公開され、翌1962年にデビューした日産自動車初の本格スポーツカー。「ブルーバード」のシャシーに、「セドリック」用1.5L直4 OHVエンジンを組み合わせた、最高出力71PSを誇るパワーとスタイリッシュなオープンボディが特徴でした。
第1回日本GPは、レース前の紳士協定で“メーカーがチーム編成をしない、メーカーが改造に関与しない”という取り決めになっていましたが、実際のところ参戦したフェアレディは、相当なチューンナップを行っていました。
エンジンは、シングルキャブから輸出用のSUツインキャブに、4速MTのギア比もクロスレシオに変更し、さらに足回りも低く固めに設定されていたのです。また、他のクラスで優勝したトヨタの「パブリカ」「コロナ」「クラウン」も同様にチューニングが施されていました。
●市販車仕様のまま参戦したスカイランは惨敗
一方でフェアレディと同じクラスに参戦した初代スカイラインの「スカイラインスポーツ」と「スカイラインスーパー」は、後に日本を代表するドライバーとなる、生沢徹が10位に入るのがやっとで、見せ場なく惨敗しました。
スカイラインはレースの前の紳士協定を律儀に守り、完全な市販車でレースに臨んだため、太刀打ちできなかったのです。レース後、フェアレディに対して規定違反でないか、とプリンス自動車や他のチームからも抗議が出て物議を醸しましたが、結果が翻ることはありませんでした。
しかし、プリンス自動車はその翌1964年の第2回日本GPでは、スカイラインGTでポルシェには及ばなかったものの、一時的ながらポルシェ904を抜き去るという伝説となった快挙を成し遂げ、フェアレディを抑えて2位から6位までを独占して、前回の鬱憤を晴らしたのです。
自動車黎明期にはレース結果が販売に直結したため、メーカーも積極的にレースに参戦して技術を磨いていました。一方でレースでは、まだホモロゲーションなどで不備があったこともあり、チューニングのことで揉めたことがよくあったようです。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)