日産「シルビア」3代目デビュー。一大ブーム・デートカーの元祖として138万円~で人気を獲得【今日は何の日?3月13日】

■斬新なデザインと先進的な装備を満載した3代目

1979年にデビューした3代目シルビア。四角4灯ライトで人気を獲得
1979年にデビューした3代目シルビア。四角4灯ライトで人気を獲得

1979(昭和54)年3月13日、日産自動車のスペシャリティカー「シルビア」がモデルチェンジして3代目となりました。

アメ車風スタイリングの2代目は市場で評価されませんでしたが、3代目はシャープなスタイリングとお洒落なインテリアで多くの若者に支持されました。

●走る宝石と呼ばれた初代シルビア

初代シルビアは、1964年の東京モーターショーで「ダットサン・クーペ1500」として披露され、翌1965年からシルビアの名で発売されました。

初代シルビア。美しいクリスプカットから走る宝石と呼ばれた。
初代シルビア。美しいクリスプカットから「走る宝石」と呼ばれた

デザインは、当時BMWなどのデザインで名を馳せたドイツ人のアルブレヒト・フォン・ゲインが担当。ボディパネルの継ぎ目を極力廃したうえで曲面ガラスを多用し、さらに鋭角的に削ぎ落した“クリスプカット”と称するボディラインのデザインと相まった姿は、他に類を見ないほど流麗でした。

しかし、課題はボディの製造工程。その美しいボディを成形するためにハンドメイドの部分が多く、そのために価格が上昇し、販売数は限定的で生産を終えたのです。

●人気のセリカの対抗馬になれなかった2代目シルビア

そして1975年、初代シルビアの生産終了から7年後、2代目シルビアが復活。直線的なフォルムの初代に対して、曲線を多用した躍動感のあるアメ車風フォルムに変貌しました。

1975年にデビューした2代目シルビア。アメ車風のスタイリングに変貌
1975年にデビューした2代目シルビア。アメ車風のスタイリングに変貌

スタイリングは大きく変わりましたが、もともと目標生産数が少なかったことから、コスト低減のため積極的に部品を流用。エンジンは「ブルーバードU」の1.8L直4 SOHCエンジンを、プラットフォームや足回りなども「サニー」のものが流用されました。その分、外観の大胆な変貌の割には、メカニズムに先進性が感じられず、市場でのアピール性不足は否めませんでした。

当時スペシャリティカーとして人気を博していたトヨタの「セリカ」への対抗馬として登場した2代目シルビアでしたが、期待通りの人気を獲得できずに不発に終わったのです。

●角目4灯のシャープなスタイリングでイメチェンを図った3代目

“白い稲妻のシルビア”のキャッチコピーとともに登場した3代目シルビアは、走りを重視したスペシャリティカーに相応しい直線基調のウェッジシェイプを採用。低いノーズラインと角目4灯のフロントマスク、傾斜したフロントウインドウ、リアのオペラウインドウが特徴的でした。

3代目シルビア(ハッチバッククーペ)
3代目シルビア(ハッチバッククーペ)

当初は2ドアノッチバックのハードトップのみでしたが、8月にはハッチバッククーペも追加。インテリアは透過照明のインストルメントパネルやムーディなランプなど、ドライブを盛り上げる演出がなされていました。

エンジンは、1.8Lと2.0Lの直4 SOHCがベースでしたが、その後ターボモデルやR30スカイラインと同じ4バルブDOHCエンジンを追加。2.0L車には、ZF社と共同開発したエンジン回転数感応型パワーステアリングが装備されました。

シャープなスタイリングとお洒落なインテリアが、多くの若者に支持された3代目シルビア。車両価格138.5~158.5万円(2.0L)で、今では死語となった”デートカー”の元祖的なモデルとして存在感をアピールしたのでした。


2代目シルビアはヒットモデルとは言えませんでしたが、シルビアは3代目で日産を代表するスペシャリティカーへと成長、デートカーという言葉とともに必ず取り上げられる名車となったのです。

毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。

Mr.ソラン

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Mr. ソラン

某自動車メーカーで30年以上、自動車の研究開発に携わってきた経験を持ち、古い技術から最新の技術までをやさしく解説することをモットーに執筆中。もともとはエンジン屋で、失敗や挫折を繰り返しながら、さまざまなエンジンの開発にチャレンジしてきました。
EVや燃料電池の開発が加速する一方で、内燃機関の熱効率はどこまで上げられるのか、まだまだ頑張れるはず、と考えて日々精進しています。夢は、好きな車で、大好きなワンコと一緒に、日本中の世界遺産を見て回ることです。
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