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■いろいろあってどん底だったレーサー・井出有治に光を与えてくれたのは国さんだった
●2008~2009年 スーパーGT「TEAM KUNIMITSU RAYBRIG NSX」ドライバー・井出有治
2022年3月16日、82歳でお亡くなりになったレジェンドレーシングドライバー・高橋国光さん(※正確には「高」ははしごだか、「国」は旧字体)。
ここでは感謝と尊敬の意を込め、レースファンの皆さまと同じく「国さん(くにさん)」と呼ばせていただきますね。そして、国さんの経歴から説明しちゃうと、本が何冊も出来ちゃうので、割愛。
11月21日(月)、東京・ウェスティンホテル東京にて行われた、国さんを偲ぶ「お別れの会」には、日本のレース創成期からご活躍した国さんを慕い、関係各所はもちろん、ファンの方も献花できるとあって、何百人もの方々が国さんに感謝とお別れの言葉を伝えるため、献花に訪れました。
今回、国さんのお別れの会に足を運ばれた方々から、国さんへ向けての感謝のコメントを伺えました。
まずは、クリッカーで試乗テストドライバーとして活躍いただいている、かつてチーム国光でドライバーをされていた井出有治さん。
●某ワインディングでの、国さんの全開走りに感動!?
ボクは2008~2009年のスーパーGTで、チーム国光・RAYBRIG NSX(GT500)のドライバーとして乗せてもらいました。
契約ドライバーって、サーキットの行き帰りもドライバーをするのが当時は普通で、チーム国光でもボクは、サーキット←→ホテルの運転をすることが多かったんです。もちろん、監督の国さんを助手席に乗せて。
でもある日、「井出クン、ボクに運転させてくれる?」って国さんが。確かレンタカーのシビックだったと思うんですけど、九州の某サーキット(あ、バレバレ?w)からホテルへ帰るとき、たっての希望で国さんが運転することに。
もうね、某峠の下りを大全開! サイドブレーキやオーバードライブを使いながら、現役時代並みの走りを助手席で体験! ホント凄かったんですよ(あ、もう時効だよね汗)。
国さんは1940年(昭和15年)生まれなので、その時68歳か69歳。古希ですよ! そのお歳であの走り…感動しました(ビビってもいましたけどw)。
●国さんの一言で、プロのレーシングドライバーとしての仕事をさせてくれる
2003~2005年に乗ったチームIMPULの星野一義さんもですけど、チーム国光…というか国さんって、レーシングドライバーとしての仕事をのびのびやらせてくれるんです。
「キミに任せるから、とにかくプロとしての仕事をしてね!」と、シンプルな言葉なんだけど、その分、自分もプレッシャーを感じたし、一生懸命やらせてもらえました。
大先輩でチーム監督の国さんからのアドバイスっていうのは、具体的にこう…というのはないんだけど、スタート前とかに準備しているときなど、ポロっと一言言ってくれるんです。
「良いポジションからスタートするときでも、頑張ったって良いときは良い。でも、悪いときは何やってもダメ。とにかく、変に気張らないで楽しくやっていれば、良い結果は必ず得られるから」って。
ドライバーとしての気持ちの置き方などを言ってくれたりして、やっぱり国さんってそういうところを分かってくれていて、決して多くは語らないんだけど、一言でポンと安心させてくれるんです。
シンプルだけど深い一言を言ってくれるということが多かったですね。
●国さんに優勝をプレゼントできなかった…
心残りと言えば、チーム国光の時代、優勝が一度も出来なかったのが心残りだし、残念です。
2008年Rd.6インターナショナル ポッカ1000kmのときも、ポールポジション取らせてもらって、でも、スタートの直前に足まわりのトラブルが発覚しピットスタート。それでも決勝では2位。
あのときも勝てそうで勝てなかった…。国さんに優勝のプレゼントができていたら良かったなぁ…という心残りがあります。
●とにかく国さんと話するのが楽しかった! 下ネタとか、ねw
そうそう。国さんは現役の頃の話をよくしてくれました。2輪でヨーロッパに行っているときの話とか、他では聞いたり見ることができないような裏話的なことが面白かった~。
昔話といっても、コッチが退屈するような“自慢話”じゃなくて、「バイクでヨーロッパ行っているときにこういうことがあってね」とか、自分の“武勇伝”を話すのではなく、旅の思い出みたいな話を聞くのが楽しかったし、面白かった。自慢話にならないところが国さんらしいですよね!
セパンとか海外レースにも一緒に行かせてもらったけど、国さんって何でも食べられるのが凄いな!と思いました。好き嫌いなく、パクパク本当によく食べる! 逆にボクのほうが苦手な料理があって…(内臓系とか)!
それと…! あの世代にありありな“下ネタ”も多かった! レースウィークとか、ピットの裏などでもそのテの話を面白く話してくれましたね~w。
●あの頃の自分を救ってくれたのが国さん
チーム国光で走らせていただいた2008~2009年の、その前。
ボク、レース人生でいろいろ大変なときもあり、『もうレースは出来ないかもしれないな…』という境遇のときがありました。そんな時に、国さんが「レース、一緒にやろうよ!」って言ってくれて、TEAM KUNIMITSU/RAYBRIGで一緒にレースをやらせてもらえたのは本当にありがたかったし、それをきっかけに、もっとレース頑張りたいな!と思わせてくれました。
そして、そのチャンスをくれたことに、本当に感謝しています。
国さんと交わした最後のLINEを読み返していると…本当に寂しいです。
お悲しみの中、お話いただきありがとうございました。井出さんの今後のレーサーとしての活躍も、見てますよ、国さんが!
(語り:井出 有治/文:永光 やすの/画像:AUTOSPORT誌、井出 有治、永光 やすの)
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