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■“プラス100ccの余裕”というキャッチコピーで登場してトップの座に
1966(昭和41)年11月5日、日本を代表する大衆車「カローラ」がデビューしました。ライバルの日産自動車「サニー」よりデビューは半年遅れましたが、ユーザーの上級志向に応える性能と装備でサニーを凌ぐ人気を獲得、大衆車トップの座に君臨しました。
●カローラより半年早くデビューしたサニー
1966年4月、日産から初代サニーの「ダットサンサニー」がデビューしました。当時は日本のモータリゼーション黎明期であり、高速走行もできる本格的なクルマ作りが始まった時期でした。
大衆車として先陣を切ったサニーは、一体成型法で剛性を確保しながら、外板も極力薄肉化を図り、車両重量は軽量な625kgを達成。エンジンは1.0L直4 OHVで56PSを発揮し、軽量化ボディと相まって、最高速度は135km/hを超えた優れた走りが自慢でした。
発売後、サニーは高い評価を受け、その年の12月には月販台数が1万台の大台を突破し、5ヶ月で3万台を超える販売を記録し、好調に滑り出しました。
●サニーに対抗して排気量を100ccアップして登場したカローラ
サニーから遅れること約半年、カローラがデビューしました。1961年にデビューした小型大衆車「パブリカ」が簡素過ぎて不評だったため、ユーザーの上級志向に応える大衆車となることが、カローラの使命でした。
ライバルのサニーに負けられないトヨタは、“プラス100ccの余裕”というキャッチコピーで、サニーより100cc排気量が大きい、最高出力60PS を発揮する1.1L直4 OHCエンジンを搭載。スタイリングは、当時最先端のセミファストバックが採用されました。
カローラは、開発目標として巡航速度100km/hが最高速度の75%以下、3速の最高速度が100km/h以上、0-400m加速が20秒以下であることを掲げ、いずれの目標もクリア。サニーより遅れてデビューしたカローラですが、販売台数でサニーを凌ぎ、日本を代表する大衆車トップの座を獲得します。
その後もカローラとサニーは、“CS戦争”と呼ばれた熾烈な競争をしながら、日本のモータリゼーションをけん引するという重要な役割を果たしたのでした。
●日本の大衆車からグローバルカーへ飛躍
1966年にセダンから始まったカローラですが、時代のニーズに応えながら進化を続け、ハッチバックやワゴン、SUVなどバリエーションを増やし、2013年からはハイブリッドも追加し、ユーザー層の拡大とグローバル化を進めています。
カローラシリーズの世界累計販売台数は、1982年に1000万台、1994年2000万台、2005年に3000万台、2013年に4000万台を達成し、2021年7月時点で5000万台を突破しました。1997年には、単一モデルの販売台数でVWビートルを抜いて世界No.1となり、現在も記録を更新中です。
2000年を迎える頃から、国内販売の伸びは鈍化していますが、グローバル化が進み、海外販売は急伸しています。この時期から、日本の大衆車からグローバルカーへと変貌したことがよく分かります。
誕生から55年周年を迎えたカローラ。そのベースになるのは“80点+α”という考え方です。確かに背伸びしたり、奇をてらうことなく、確実に進化を続けています。平凡なクルマとか、保守的と言われることもありますが、その表現が正しくないことは、55年の実績が証明していますね。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれません。
(Mr.ソラン)