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■神話との縁が深い幣立神宮(へいたてじんぐう)
日本最古の神社として最近、特にYouTuberからの発信で噂となっている幣立神宮(へいたてじんぐう)。その発祥は1万5000年前と言われています。
幣立神宮のある熊本県上益城郡山都町は熊本県と宮崎県の境にあり、隣接する宮崎県側は高千穂町です。山都町と高千穂町のある県境エリア一帯が、古事記や日本書紀に登場する「高天原(たかまがはら)」だ…という伝説があります。
そんな場所に位置する幣立神宮は、様々な日本の神話ともかかわっているともいわれます。
幣立神宮の起こりや神話、伝説については、インターネットで検索していただければ、本当に数多くヒットしますので、ここで詳しく紹介することは控えさせていただきます。
●オートポリスへ行く前に、ちょっと寄り道してみた
幣立神宮は山都町の国道218号線沿いに位置し、沿道には大きな駐車場も用意されます。熊本空港からクルマで大体1時間程度の距離で、筆者はスーパーGTレースが開催される大分県のサーキット・オートポリスへ行く途中に、少し遠回りという感覚で訪れてみました。
駐車場にクルマを停めて石段を上がっていくと、社殿があります。
訪れた日は9月末。標高の高い場所にもかかわらず、気温が25度という夏を思わせる日でしたが、参道の石段を上がっていくとひんやりとした心地よい空気が漂ってきます。
この石段の中腹あたりから頭上を見上げると、木漏れ日があるような杜となっており、心が洗われるかのような気分になってきます。
150段くらいの石段を登って行った先に建つ社殿。こちらでお詣りをしますが、そこでは驚くべきことがありました。
ごく普通にお賽銭を入れてお詣りをしていたところ、なんと巫女さんが鈴を鳴らしながらお祓いをしてくれたのです。2拝2拍手1拝の「1拝」のところでお祓いを受けますが、この時の荘厳な気分だけで「この神社に来て良かった」と思えます。
幣立神宮の起源は1万5000年前に遡るとされていますが、その由来が社殿の向かって右側にあるご神木。
一つの株から生えては倒れ生えては倒れを繰り返し、現在のご神木は樹齢2000年ほどと言われますが、その代は11代目。株自体が1万5000年前からのものと言われます。
正しい神社の創建は不詳とされていますが、このご神木が地域の自然信仰として祀られ、様々な神話の年代にも生き続け、それを基に神社として創建されたということなのでしょう。
ただし、創建不詳とは言われても、2000年ほど前にはすでに神社としてこの地にあったとする伝承があるそうです。
●湧水が神秘的な東水神宮、西水神宮
この幣立神宮の拝殿の裏手に、林の中へとつながる小径があり、その小径にも鳥居が構えられています。
この小径は東御手洗池と、そこに祀られる東水神宮への参道となります。この鳥居をくぐり、下り坂となる参道を200mほど進むと杉林が開け、小さな池を見ることが出来ます。
この池が東御手洗池。伝承では八大龍王が鎮まる場所とされています。
その東御手洗池に水をそそぐ湧水地に建てられているのが東水神宮。鳥居としては珍しく竜神が彫り込んであり、何か特別なものを感じざるを得ません。
幣立神宮に比べれば簡素で小さな社ではありますが、それでも荘厳な雰囲気は漂っています。
不老不死の妙薬を探すという、秦の始皇帝の命を受け日本にやって来た徐福が、東御手洗池の水にその不老不死の妙薬の手がかりを求めた、という伝承も残っています。
また、幣立神宮の駐車場から国道218号線を挟んで向かい側にある西水神宮も、東水神宮と同じく湧水地を祀るように建立されています。
この西水神宮では、この湧水を使ってエジプト起源の宝玉である水の玉を洗ったとされています。
東水神宮も西水神宮も残された伝承が真実かどうかということよりも、この地域の人々がいかに湧水を大切にしてきたのかが解るエピソードではないでしょうか。
この幣立神宮の周辺にある馬見原という地域では、山間にもかかわらず、宮崎県の高千穂などへの交通の要所として栄えた場所で、また明治期の西南戦争で政府軍が陣を構えた場所でもあります。
幣立神宮のスピリチュアルな要素と明治維新の激動のロマンが交錯する場所として、熊本県に行かれた際はちょっと寄り道してみて欲しい場所です。
(写真・文:松永 和浩)